「ホテル」に関する名言
の名言・格言
飲食だけでなく、僕には何のスキルもなかったんです。ただ基本的に人が好きですから、人が集まるところ、たとえば飲食店ですとか、ホテル、旅館などがもともと好きだったことはあります。また、僕は営業が嫌いだったので、営業しなくてもお客様が来てくれるだろうと考えたんです。あとは、日々食べていくくらいは稼げるだろう。という安易な考えで最初は始めました。
の名言・格言
帝国ホテル新館の開業披露の当日、大震災が発生するとは、なんたる運命の巡り合わせであろうか。すべては天なるかな、命なるかなである。しかし、この災厄は同時にこの建築の優秀さを実証する結果をもたらした。ホテルは倒壊もせず火災をも免れたのである。最初の激動の中で、私は建物の倒壊については何の不安も持たなかった。ホテルの窓ガラスはそれから続いた前後数十回の振動にも1枚だに破損しなかった。
の名言・格言
コスト削減と顧客満足度は二律背反で、生産性を上げれば顧客満足が下がるのが経済原理ですが、私は大阪商人の気概として両方追いたいと思ったのです。 【覚書き|ノーキー、ノーチェックアウトというホテルのビジネスモデルを考案した原点を語った言葉】
の名言・格言
その土地の最高のホテルに泊まり、商談は豪華なロビーでする。服装、身だしなみにも気を使い、できるだけ良い服を着て、プレスもきかせ、靴はピカピカに磨いて、髪もきちんと分けてゆく。 【覚書き:三井物産の米国駐在員としてアメリカで生糸のセールスを開始するも、相手になかなか会えなかった時にとった行動。この作戦は成功した】
の名言・格言
営業は、汗水たらしてただ頑張ればいいってもんじゃありません。効率や生産性を考えた頭脳営業をすることが大事です。センチュリーハイアットに転職して宴会担当になったときも、まず、どうすれば少ない労力で大きな売上をあげられるかを徹底的に考えました。そうしたら、「宿泊付きで定例的に行われている会議の宴会を、ほかの大手のホテルから横取りするのが一番だ」と気づきました。
の名言・格言
25歳でホテルオークラに入社して5年目、30歳のとき大きな転機が訪れました。当時、ホテルオークラでは夏枯れ対策として、全社員1500名でセールスコンクールというのをやっていたんですが、僕は絶対にトップになってやろうと思いました。それには、他人と違う方法を考えるしかない。普通、自分の親戚や地方の友人に声をかけるわけです。でも、それじゃ良くて数十人がやっとでしょ。それで僕がどうしたかというと、OLさんがたくさんいそうな百貨店とか商社の社員食堂に行って、「一泊8900円。ウェルカムドリンク付き。ご連絡は森田まで」というポスターを貼ったんです。男性は都心のホテルなんて利用しないけど、OLさんはリフレッシュのためにとまると思ったからです。結果2400泊も予約がとれちゃいました。2位が20泊だからいかにすごい数字かわかるでしょ?
の名言・格言
せっかく社長や偉い人と会えたっていうのに、「見積もりはあとからお持ちします」なんて言う人がいるけど、それじゃ仕事にならんでしょ。合いみつ(合い見積もり)かけられちゃうじゃない。社長と会ったら、その場で即決してプレゼンですよ。そこで決めなきゃダメなんです。女性を口説く時と同じですよ。ホテルの前まで行って、「あ、ごめん、今日はちょっとダメなんだ」と言われて翌日電話して「昨日はダメって言ったけど今日はいい?」なんて言ったら「ふざけないで!」って怒鳴られるでしょ?それと同じです。
の名言・格言
ホスピタリティ精神は、すべての職業につながるはずです。ホテルマンでも、ラーメン屋さんでも、保険のセールスレディーでも、ホスピタリティの心があるかないかで、仕事の中身は大きく変わる。だからこそ、一人でも多くの働いている方に、ホスピタリティの大切さに気づいてほしい。
の名言・格言
「誰がやっても失敗する」と言われたホテルの支配人を任されて、何とか成功してやろうと思いました。深夜担当の副支配人や館内点検、清掃のスタッフを雇うと年間数千万円かかるので、コスト削減のために私が365日、ホテルに泊まり込んでそれらの業務を担当しました。大変でしたが、部下たちは「支配人があそこまでやるのか」「自分たちは何ができるのだろう」と考えてくれるようになって、おかげで5億円だった売上が10億円になりました。自ら率先してやることは、部下指導のうえでも重要です。
の名言・格言
自分はこれまでただ自分のためにのみ働いてきた。そのためにロンドンに一人知己もなく、わびしいクリスマスを味わねばならなかったのだ。今後は可能な範囲で人のためにも働こう。 【覚書き:ロンドンでのホテルマン修業時、クリスマスで寂しい思いをしその後の人生哲学を確立したことを振り返っての発言。】