過去の名言から知り、今の生活に生かす

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「震災」に関する名言

岸谷五朗

の名言・格言

地球ゴージャスを立ち上げきっかけは阪神・淡路大震災でした。あのとき医者は人を助けて、大工は家を建て直すことができたけど、俳優は何ができるのかと考えたとき、無力な職業だなって思ったんです。そんなとき、テレビでどこかの国の戦争の場面を見かけました。街が破壊されているのに、その人たちが壁に映し出された映画を観て笑っていたんです。「これだ」と思いましたね。唯一自分ができるのは、人の心を和ませること、人の心をゴージャスにすることだと……。だから、自分は人の心や地球全体をゴージャスに飾っていきたいと考えて、1994年に「地球ゴージャス」を結成したわけです。

高橋和志(造船技師)

の名言・格言

私はこの地で踏ん張るつもりです。鍋や釜のようなものからでも製品に仕上げて、気仙沼で作ったものを全国に発信する。そうでなければ復興の意味がないですから。いろんな意見があるだろうけど、私は、復興ってその地域が自立してやらなきゃ意味がないと考えています。 【覚書き|東日本大震災で大きな被害を受けた地元気仙沼の復興活動について語った言葉】

犬丸徹三

の名言・格言

帝国ホテル新館の開業披露の当日、大震災が発生するとは、なんたる運命の巡り合わせであろうか。すべては天なるかな、命なるかなである。しかし、この災厄は同時にこの建築の優秀さを実証する結果をもたらした。ホテルは倒壊もせず火災をも免れたのである。最初の激動の中で、私は建物の倒壊については何の不安も持たなかった。ホテルの窓ガラスはそれから続いた前後数十回の振動にも1枚だに破損しなかった。

大川博

の名言・格言

まったく人間の運命というものはわからない。一寸先は闇である。幸いにこのとき、私は生き残るほうの運命に噛り付いたが、その運命をもたらしてくれたのが、じつはたった一片のこの電報命令だった。 【覚書き|関東大震災直前、高崎での鉄道省の講習会で講師をせよという電報を受け、高崎に向かったことで震災に巻き込まれずに済んだことを振り返っての発言】

早川徳次

の名言・格言

事業が順調に進んでいったとすると、おそらく私はシャープペンシル製造に生涯をかけて金属文具界で終始し、いまのように電気器具メーカーとして大阪に住むこともなかったと思われる。運命というものは全く予想を許さない。 【覚書き|関東大震災で工場が全壊。事業と家族を一度に失ってしまった当時を振り返っての発言】

本田弘敏

の名言・格言

26歳で200人あまりの所員を指揮した体験は貴重だった。ふだん要領がよく所長に取り入っていた人たちは、顔を見せるものが少なかった。反対に、毎日二時間も三時間も歩いてきて「今日は何をしますか」と真剣に聞いてくるのは、日頃ぶっきらぼうで要領の悪い人たちに多かった。 【覚書き:関東大震災直後に東京ガスの芝営業所長代理として陣頭指揮にあたった時を振り返っての発言】

井植歳男

の名言・格言

売掛金は半分に割り引きますから、現金で払ってください。そのかわり、新しい商品は全部以前の価格で届けましょう。【覚書き:関東大震災2カ月後の発言。震災のため掛け金を払えない取引先を思いやっての言葉。また、震災直後はモノ不足になり、不当な高価格で儲けようとした会社が多く、その点からも震災前価格を打ち出すことで取引先の助けとなった。】

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