「親父」に関する名言
の名言・格言
多くの人は高齢者はこうあるべきだと、勝手に自己暗示にかかっている。「もう余生だから」と思っているわけです。よせぃばいいのに(笑)。僕の親父はいつまでもスキーがしたいと思っていたから、元気でいられたんです。
の名言・格言
私は、大阪・船場の繊維問屋の3代目だったんです。母が跡継ぎで親父が養子に入るという典型的な大阪商人の家で、いつも家では商売の話が飛び交っていました。印象に残っていたのは、「関西人はケチと言われるがそうではない。お金の価値を知っているのが関西人だ」という教えです。どぶに捨てるカネは惜しむが、必要なカネは蔵を潰しても惜しくない。「生き金、死に金」ですね。生き金ならば、投資は惜しまずやっていますね。
の名言・格言
終戦時に満州から引き揚げる逃亡生活に入る前の晩まで、私は悪いことばかりしていたそうです。倉庫に入っては山積みになっていた角砂糖を盗んで食べていたらしいんですが、ある朝方突如、爆弾がドン、ドンといって落ちてきた。ソ連の侵攻です。5歳でしたがそのときから要所、要所において記憶があるんです。親父が商売をしていましたので、そう悪い生活でもなかったのですが、逃亡生活の翌日からはもう着の身着のままで、何も持たずにひたすら逃げた。幼少時に惨事を経験し、死の淵を見たというか、以来私はどこででも生きていけると人生を達観し、悟りの境地で物事に臨むようになりました。
の名言・格言
今でこそ苦労は買ってでもやろうと勧めておりますが、中学の時には、マラソン大会を逃げようとした経験があります。当時、太っていた僕は「どうせビリになる。かっこ悪いし、女子の前で恥をかきたくない」と敵前逃亡を企んだのです。その僕に、親父は「絶対出ろ」とも「出なくていい」とも言わなかった。フンと鼻で笑って「まあ、アゴを上げるなよ」と言ったんです。アゴを上げるとは「音を上げる」って意味ですね。そう言われた僕は、バカにしやがって見下すなとイラッとしました。同時に、逃げようとしたこと自体を叱るでもなく、うまくかわしてくれたのがありがたいとも思いました。それ以来、「アゴを上げない」が、僕の信条になったんです。
の名言・格言
相手の成長ために褒める・叱るというのは、古くから受け継がれてきた日本人の美点だと思います。「昭和の頑固親父」と言えば、相手の将来を思って、ときに熱く、ときに厳しく育てる姿が思い浮かぶでしょう。それは、正社員ばかりで、終身雇用が保証されていた、高度成長期の話だろう。雇用が流動化している今は、そんな接し方は流行らない。そう思われる人もいるかもしれません。しかし、それは違います。数年後には同僚でなくなっているかもしれない。だからこそ、次の職場で立派に仕事ができるように成長してもらいたい。そう思って部下を育てる。自分の損得を越えた、相手への好意が必要なのです。