「発言」に関する名言
の名言・格言
勝ったのは奇跡ではない。それだけのことをやったからです。 【覚書き:ワールドカップ・フランス代表監督時の発言。他国の数倍の9人のコーチを使い、欧州の各サッカーリーグの視察をさせ、敵味方両方を分析させた。その結果、ワールドカップ98年大会で優勝を収めることができた。その勝利を振り返っての発言】
の名言・格言
一生懸命に努力していると、自分が日々成長していくのがわかります。なぜそれに気づけるのかと言うと、一週間前、あるいは一か月前の自分の発言を振り返って、「あのときはわかっていなかったな」と恥ずかしく思うことがあるからです。不思議なものですが、人間は何歳になっても、努力さえすれば進歩するものです。
の名言・格言
自分より優秀な人を惹きつけ、仲間にするには、どうしたら良いのか。私が気をつけたことはたったひとつだけです。それは、相手によって発言のスタンスを変えないこと。相手が私より優秀な人だろうが、ご支援いただいている大企業の社長だろうが、3歳の子供だろうが、「ミドリムシで地球を救うことができる」と言い切るのです。普通は、相手が偉い人だと、ちょっと発言を後退させてしまうでしょう。「ミドリムシで地球を救えるかもしれません」とか、「こうなったら地球を救えます」と条件をつけたりしてしまいがちなものです。でも、それでは迫力が出ないのです。私は、相手が総理大臣だろうと、米国大統領だろうと、「ミドリムシで地球を救うことができる」と言います。誰にでも一貫して同じことを言う。そして、「あなたが協力してくれれば、もっと早く地球を救えます」と言う。仲間を集めるために私がしてきたことは、それだけです。
の名言・格言
社会構成の最小ユニットって家族だよね。それがいま、崩壊しかけてる。それは見た目はささやかかもしれないけど、やがて社会全体や文明全体を巻き込む、もっと決定的な崩壊につながるんじゃないか、という気分があって、それをネタにしたエンタテインメントをやろうということ。 【覚書き:アニメ『地球防衛家族』の企画を立てた当時を振り返っての発言】
の名言・格言
ある種の機械の製作に関する疑問が最初にあった。次に、アルキメデスの影響ものもとに、動力学の第一の法則に疑問が出てきた。それから、風、雲、地球の年齢、世代、人間の心について、それまでに問われたことのなかった疑問が次々に出てきた。【覚書き:ダ・ヴィンチの手記を時系列で分析した結果についての発言】
の名言・格言
孔子の言葉に「利によって行えば恨み多し」というのがある。現在、地球上に起こっている様々な事象は、多かれ少なかれ当事者たちが「利によって行ってきた」結果である。【覚書き:公益事業を預かる経営者として自分を戒めた言葉。東京電力会長時の発言】
の名言・格言
どう利益を得ればいいのかはっきりわかっていませんでした。でも、運命だ。これに賭けてみようと思ったんです。【覚書き|Yahooの起業資金をベンチャーキャピタルに求めたときの発言。このわずか1年後に株式公開を果たすことになる。】
の名言・格言
それならアメリカから来たドミノピザとは違って、僕たちは日本人の女性をターゲットにしたピザを作ろうじゃないか。ドミノピザがマクドナルドだとしたら、うちはモスバーガーのような存在で行こう。これをコンセプトにしてピザーラを始めたんです。【覚書|上記はドミノピザのフランチャイズをやりたいと思い問い合わせたところ、直営のみでフランチャイズはやっていないとの返答を受けたときを振り返っての発言】
の名言・格言
私は一年かけて資金を集めようと頑張った。242人にプレゼンテーションして217人に断られたのだ。こんなに大勢の人から、あなたのアイデアは投資の価値がないと言われたら、どれほど気持ちが落ち込むか想像してもらいたい。それでも私は、自分の計画が行き詰まるとは思わなかった。 【覚書き:スターバックスが現在行っているカフェ形式を実験するために作った会社イル・ジョルナーレの開業時を振り返っての発言】
の名言・格言
早く日本に帰ってカフェテリア方式を実験し、実現させたい。帰りの飛行機の中で、足をバタバタさせたほどだった。 【覚書き|上記はたまたま参加した米国視察旅行で全米2位の給食会社副社長のM・ケネリー氏からカフェテリア方式を紹介されたときを振り返っての発言。志太氏は父から受け継いだ会社を経営するのにいまいちやる気が出なかったがケネリー氏との出会いがきっかけで火が付いたと語った】
の名言・格言
AXIAというブランドを作り、若い層を狙いに行ったのです。大人に聞くとテープはTDKでないと嫌だとかいうのですが、若い子たちはブランドに対するロイヤリティというかこだわりがない。我々はこの層を半熟卵と呼んでいました。ゆであがった卵は無理だから。 【覚書き:TDKが大きなシェアを握っていたオーディオテープ市場に参入した時を振り返っての発言】
の名言・格言
会社でなにか不合理や不条理を感じることがあったとしよう。ところが3回目までは黙っていて、4回目になって突然、強い調子で意見を述べたらどうなるか。たぶん反発を食らうだけだ。だから、おかしいと感じたら、すぐに発言したほうがいい。最初はびっくりされるかもしれないが、君の評価は、その時点で「変わった奴」となる。するとそれ以後は、「変わった奴」として扱ってもらえるのだ。こうして精神の自由を確保すれば、ストレスはたまらないし、愚痴や陰口など出てくるはずもない。
の名言・格言
妙なもので、舞台が失敗と決まると、かえって気は軽くなり、心の重荷も降りた。アメリカには、ほかにチャンスがいくらでもある。どうして舞台ばかりに噛り付いているのだ?何も芸術に一生をささげたわけじゃない。商売をかえろ!私はようやく自信を取り戻しだした。そうだ、どうなろうとアメリカで頑張ろう。そう私は決心した。 【覚書き|最初のアメリカ巡業が失敗に終わったときを振り返っての発言】
の名言・格言
いまだに思い出すのもつらい、どん底の経験でしたが、この失敗を契機に、私の仕事に対する考え方は大きく変わりました。それまでの私はどちらかというと情熱任せに突っ走る傾向がありましたが、一転して常に最悪のケースを想定し、リスクを厳しく管理することを心がけました。 【覚書き|伊藤忠商事社員時代、ニューヨーク駐在をしていた頃の失敗について振り返っての発言】
の名言・格言
勉学が目的だが、実家の織物の仕事もあるから、有名大学をさけて最初ロンドン大学へ行った。経済学部で講義を受けたがさっぱりわからぬ。ところが下宿屋へ帰って教科書を読むと大半理解できる。これで私は通学しなくとも勉強できると考え、本ばかり買い入れて商売の方に精を出した。 【覚書き:留学しながら実家の丸紅伊藤本店(伊藤忠商事と丸紅の前身)の仕事を両立していたころを振り返っての発言】
の名言・格言
教師の名前はカッテンデーケ(ヴィレム・カッテンディーケ、オランダ海軍軍人)といったが、笑いながら「それは良い修行をした。いくら理屈は知っていても、実地に危ない目に遭ってみなければ船のことはわからない。危ない目と言っても10回が10回ながら格別なので、それに遭遇するほど航海の術はわかってくる」と教えてくれた。このとき、理屈と実際とは別だということを悟ったよ【覚書き|長崎海軍伝習所時代の航海実習時に教官からあまり沖に出すぎるなと言われていたが、遠出してしまい、かつ嵐に会って沈没しそうになった時を振り返っての発言】
の名言・格言
勝っているところを頭の中に思い描く。実際に走っていない時でも、いつもよい走りをしているところをイメージしている。 【覚書き:レースで良いタイムを出すにはどうすればいいかと問われた時の発言】
の名言・格言
年配の経験者の話が一番役に立つ。これが私の体得した勉強法だった。主人の知識はどんらんに学び取ったかわりに、私は主人の命令なら二つ返事で一切引き受けた。最後には「自分を米国のパパと思え」と言ってくれるようになり、親子の愛情と変わらぬようになってしまった。 【覚書き|牧場経営を学ぶために米国の牧場で働いていた時期を振り返っての発言】
の名言・格言
まったく人間の運命というものはわからない。一寸先は闇である。幸いにこのとき、私は生き残るほうの運命に噛り付いたが、その運命をもたらしてくれたのが、じつはたった一片のこの電報命令だった。 【覚書き|関東大震災直前、高崎での鉄道省の講習会で講師をせよという電報を受け、高崎に向かったことで震災に巻き込まれずに済んだことを振り返っての発言】
の名言・格言
10年の間、日活と運命を共にしてきたが、その日活を今日限りで辞めたい。やめてどういう目途もたたないが、とにかく自分の力でやれるところまでやってみたい。 【覚書き|日活をやめる決断をしたときの発言】
の名言・格言
ある日、私が店先にいると、鈴久(相場師の鈴木久五郎)さんが黒の紋付に羽織袴で、指には何カラットという大きなダイヤの指輪をはめてやってきた。そのとき私は「鈴久という人は偉い人だ。この人も俺も同じ埼玉県の生まれだが、ずいぶん金を儲けた人なんだなぁ」と子供心に感心しながら見上げたものである。それから一週間で株の暴落とともに鈴久さんが転落の運命にあったとは、夢にも思わなかった。 【覚書き|株屋半田庸太郎商店の小僧になりたての当時を振り返っての発言】
の名言・格言
「これは背水の陣を敷くことだ。製品の真価を知ってもらうために小売屋に無料で配ろう」と決心した。まず3人の外交員を雇い、資本の続く限り、大阪中の小売屋に2、3個のランプをおいて回り、うち一個はその際点火して「30時間以上もちます。品物に信用が置けるようになったら売ってください。その後安心が出来たら代金を払ってください」といって歩かせた。松下電器の運命をかけた販売だった。2、3か月すると小売屋から電話や葉書で注文が来るようになった。 【覚書き|自転車用電池ランプを販売したときを振り返っての発言。最初はまったく売れず、上記の営業法がきっかけで大量に売れるようになった】
の名言・格言
金融再生委員会委員や、経団連の金融制度委員長を務めているせいか、以前から金融問題に関心が強かったのかと聞かれますが、実際は違います。コマツの副社長時代に経団連で経済法規や税制問題を担当したのと並行して、旧大蔵省の証券取引審議会や、金融制度調査会に関わることになり、これも運命ならば、徹底的に勉強して産業界の立場で国ために発言していこうと思った結果なのです。
の名言・格言
運というものは、後になってみれば幸運・不運ということがいえるが、その時には「禍福はあざなえる縄のごとし」で、やはり運命に甘んずることなく、自分で自分の運命を切り開いていくという気持ちが大切だ。【覚書き:勲一等瑞宝章を受けた際に過去を振り返っての発言】
の名言・格言
川本(日出生)さんは戦前、ミシン部品工場を儲けさせた恩人だ。あんたの信用で2000万。前田(増三)君、君はミシン輸出で商社に信用がある。製品引渡しの約束で2000万手形で借りてきたまえ。僕は広告印刷業界で2000万円ぐらいの信用はある。3人合わせれば6000万円じゃないか。信用は金と効用においてちっとも変わりがない。3人の運命をかけた信用資本を食いつぶすまでに、なんとかこの会社を軌道に乗せるんだ! 【覚書き|終戦後、元蛇の目ミシン社員たちとリッカーミシンを立ち上げたときの発言。】
の名言・格言
巣鴨に収容されてから国際軍事法廷が開かれるころまでの半年間は、やはり自分の運命がどうなるかを考えると精神の動揺は避けられなかった。それが、秋風の吹くころから気持ちが落ち着き、健康もよくなってきて、50数年の人生を振り返る余裕ができた。留置生活はいままで過去を振り返ることのなかった私にとって人生行路を反省する天与の機会となった。 【覚書き|太平洋戦争終結後、A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留されていた当時を振り返っての発言】
の名言・格言
事業が順調に進んでいったとすると、おそらく私はシャープペンシル製造に生涯をかけて金属文具界で終始し、いまのように電気器具メーカーとして大阪に住むこともなかったと思われる。運命というものは全く予想を許さない。 【覚書き|関東大震災で工場が全壊。事業と家族を一度に失ってしまった当時を振り返っての発言】
の名言・格言
たとえ体調を崩したとしても、療養生活に入るのではなく、仕事を続けることが私にとっては最高の健康法だと思っています。「病は気から」という言葉があります。一昨年の大けがのときも、私は病室で仕事を続けました。奇跡的に回復したのは、主治医の先生によれば、「本人の気力のたまもの」だそうです。 【覚書き|73歳時の発言】
の名言・格言
長生きの方法は、自分より長生きした人の書でもなんでもいいから飾って、俺はそれよりも長生きするんだという意欲を燃やしていなければならない。俺はこのように渋沢男爵(渋沢栄一)の書を飾り、毎日これを見て、渋沢より長生きするようにしているのだ。 【覚書き|上記発言通り御木本氏は渋沢氏より長生きした。御木本氏没年齢96歳、渋沢氏91歳】
の名言・格言
26歳で200人あまりの所員を指揮した体験は貴重だった。ふだん要領がよく所長に取り入っていた人たちは、顔を見せるものが少なかった。反対に、毎日二時間も三時間も歩いてきて「今日は何をしますか」と真剣に聞いてくるのは、日頃ぶっきらぼうで要領の悪い人たちに多かった。 【覚書き:関東大震災直後に東京ガスの芝営業所長代理として陣頭指揮にあたった時を振り返っての発言】
の名言・格言
いまでも下の人がガンガン意見を言って向かってきたとしても、まったく違和感がない。むしろそれが当たり前だと思っています。何か意見を言うたびに、「うるさい」と怒鳴られて発言を抑制されたら誰だって「こんな会社に何十年もいるのか」と思うでしょう。経営には社内の意見を柔軟に受け入れる姿勢が必要ですし、自分の意見を自由に言える環境というのは人を育てます。
の名言・格言
それまでは工業用テープの分野に打ち込んでいましたが、小規模とはいえ会社が扱う製品や部門全体を見渡して判断する役職となり、人材育成の重要性などを学べた。 【覚書き|インドネシア3M代表取締役時代を振り返っての発言】
の名言・格言
顧客へのお礼のハガキで書く中身は、相手と自分だけが共有できる情報やネタがいいでしょう。ハガキを見た瞬間に、相手の頭の中に自分との会話が蘇り、よくこんなことまで覚えていてくれたと感心させるのがミソです。何を書いていいかわからないと迷う人は、ひとつだけでいいから相手のいいところを見つけて褒めるのも手です。その際、容姿や経歴を話題にするとき、その人の発言や、「○○の時計が素敵でした」と身につけているモノでセンスを褒めた方が、嫌味がありません。
の名言・格言
先代には商いの心構えなどを教わっていなかった上に、店を継いだ1年前には母も入院していたため、経営のことなどまったく分からず戸惑っていました。そんな頃に出会ったのが、たまたま書店で手に取った松下幸之助さんの書籍『実践経営哲学』でした。正直言うと、その時は読んでも「そういうものか」と感じたくらいで、あまりピンと来ませんでしたが、経営者として働きながら折にふれて読み返すうち、この本は私にとって、とても大事な一冊となったのです。 【覚え書き|21歳で大戸屋食堂を引き継いだ当時を振り返っての発言】
の名言・格言
売れるものに乗っかって売り上げを伸ばすのは、誰にでもできる。売れないものを売れるようにするのが、本当の商人ではないか。 【覚書き:バスクリンのヒットで得た資金を漢方研究に注いだことに対して、社内から批判を受けた時の発言。漢方の研究は父であるツムラ創業者のライフワークだった】
の名言・格言
自分は生きている値打ちのない人間だとまで思った。思い悩んだ末に考え付いたのが「儲けようと考えたのがいけない」ということだった。自分は儲けなくてもいいから、この世のために少しでもできるだけのことをしようという奉仕の心だった。【覚書き|様々な商売に手を出すも、ことごとく失敗したのちの発言】
の名言・格言
何でも時代のせいにしてれば、そりゃ楽だ。 【覚書き|ラジオのインタビューで「炭屋の片隅ではじめた本屋が日本一になるような時代はもう来ないでしょうね」と問われた時のコメント。経営者は経営不振を時代のせいにするなという趣旨の発言】
の名言・格言
売掛金は半分に割り引きますから、現金で払ってください。そのかわり、新しい商品は全部以前の価格で届けましょう。【覚書き:関東大震災2カ月後の発言。震災のため掛け金を払えない取引先を思いやっての言葉。また、震災直後はモノ不足になり、不当な高価格で儲けようとした会社が多く、その点からも震災前価格を打ち出すことで取引先の助けとなった。】
の名言・格言
高く買って安く売る。高く買ってやれば売り手は喜んで、いいものをどんどん売ってくれる。買う人は安い方がいいに決まっている。【覚書き:謙吉氏の父の言葉。氏自身もこの言葉に従い商売を行って成功を収めた。もちろん、買値と売値は差益で儲かるように設定する必要がある。その中でできるだけ高く買って、できるだけ安く売るという趣旨の発言】
の名言・格言
小売業の鉄則は「商い」と「始末」の区別をはっきりさせ、それを守ること。 【覚書き:始末とは経理、商品管理、労務管理などのこと。売上を伸ばすと同時にそういったこともきちんとこなさないという趣旨の発言】
の名言・格言
こう見えても、自分は独立した一個の商人だ。飢える気遣いははない青年だ。国の母や君に金をもらうケチな考えはない。 【覚書き|福沢桃介と福松商会を創業し金に苦労しているのを見た同郷人に「なぜ実家から金をもらわないのか。いま私が持っている金を置いていこうか」と聞かれたときの発言】
の名言・格言
叔母さんの教育は「貧乏は駄目だ。とにかく出世しなければ」という思想だった。貧すれば鈍するということを身に徹して思い知らされているらしかった。「貧乏していたら、まず第一に誰にも頭が上がらないじゃないか」ともいっていた。それが近江商人の考え方で、私たちは朝から夜中まで、この思想でビシビシと鍛えられた。とにかく我武者羅に勉強させられ、将来の栄光のために現在の困苦に耐える鍛錬を積んだことは、のちの生涯のためにどれだけ役に立ったか計り知れないものがある。 【覚書き|旧制中学時代、5年間叔母の家で生活していたときを振り返っての発言】
の名言・格言
進歩するには背伸びも必要でしょうね。ちょっとずつ背伸びして、その時の自分よりも装って発言したり行動する。そして次にその背延びが嘘でないように努力するわけです。たとえば階段を上がる時にかかとが上がるでしょ?あのくらいずつ背伸びして階段を上がっていく。あのくらいなもんですよ。あれを三段四段跳びあがると背伸びではなくなってしまう。ちょっとずつでいいと思うんです。かかとが上がるように背伸びしていかないと進歩しないんです。
の名言・格言
そのときは100人の人と会話をすることを一日のノルマとして課しました。飛び込み訪問をするのは恥ずかしいし、頭ごなしに断られれば嫌な気持になります。人間にはプライドがあるので、大げさに言えば屈辱感を味わう。ただ、中には本当に親切にしてくださる方もいる。苦しい気持ちでいるときに、優しくしていただくと、心にしみるようにありがたい。受け入れてもらえたときは、心が躍るほどうれしかったですね。人間の生の姿に直に接したことはビジネスマンとして大きな経験となり、糧となりました。【覚書き:自動車の飛び込みセールスを行っていた時期を振り返っての発言】
の名言・格言
昔、坂田さん(丁稚奉公先の工場)にいたとき、縁日の夜店でものを売って以来、シャープペンシルの外交など過去の販売経験は、私にとって力強い自信となっていた。 【覚書き|シャープが伸び盛りのとき工場を社員に任せ、販売に専念していた時期を振り返っての発言】
の名言・格言
仕事は諦めてはいけない。最後の一押しが成否を決めるのだと、紙一重の差を私はそこで悟った。 【覚書き|富国徴兵保険のフルコミッションセールスをしていた時代、初契約をとりつけたとき振り返っての発言。当初はまったく契約が取れず、辞めようと思った直後に初契約がとれ、その後、大きなセールス実績を打ち立てた】
の名言・格言
競合他社の住宅も含んて比べたとき、価格・性能・構造で圧倒的優位に立つのは難しいことです。ではどこで差をつけるかというと、家族で決めた家という納得感・満足感なのです。注文住宅の営業マンとして私の役割は、家族同士で話し合ってもらって、家族のコンセンサスを得てもらうことだと心得ていました。 【覚書き|大和ハウスでトップセールスだったころを振り返っての発言】
の名言・格言
注文住宅の場合、最初にお客様の家づくりに対する考え方をしっかり聞いておかないと、途中でどんどん方向がズレてしまいます。ところが最初から本音で話してくれる人は少ないのです。たとえば「コスト重視で建てたい」とお客様が言ったとしても、それは一般論的に言っているにすぎず、じつはステータスを感じる家にしたいとか、健康に配慮した内装にしたいというような本音が別にある。そこを汲み取るのが私の仕事でした。 【覚書き|大和ハウスでトップセールスだったころを振り返っての発言】
の名言・格言
単純な話で、緊張する場面に来たら、普段よりちょっと大きな声で話すように意識すればいいんです。それこそ、堂々と「キョウドウと申します。食器洗浄機を売りに来ました!」っていうように、作戦を変えました。「売りに来ました」なんておかしな話で、結局はセールスなのに、こうやって入ると、受付の人が「これはお通ししないといけないかな?」とか思っちゃって、奥から偉い人が出てくるんです。 【覚書き|食器洗浄機販売会社を立ち上げ、飛び込みセールスを行った当時を振り返っての発言】
の名言・格言
数字には年齢も性別も関係ありません。成績が良ければ、会社に必要とされますので、私はそれに集中すればよかった。 【覚書き|クルマのセールスをしていたころを振り返っての発言】
の名言・格言
天下の国鉄といえど、昔は駕籠(かご)かきだったではないか。今も日立から部品が入ってこなければ何もできない。日立だって社員40名からスタートしたと聞いている。どんな大きな会社も、小さな時代はあったではないか。 【覚書き|大和ハウス工業を創業したてのころ、国鉄にセールスに行ったときに「そんな小さな会社に天下の国鉄が発注できるか」と言われたときの発言】
の名言・格言
チームが勝つために、いまなにをすべきか。僕よりも、外す決断をした古葉さんの方が苦しかったと思う。 【覚書き:大スランプ時にスタメンから外され、連続試合出場世界記録の更新がストップした時の発言。古葉さんとは当時の監督の古葉竹識(こば・たけし)氏】
の名言・格言
どんなにすごい体力を持っていても、どんなに素晴らしい技術を持っていても、それらを活かしているのは心理的なものとか、精神的なものなんですよ。 【覚書き:プロ3年目のとき、日本シリーズで4連投したことを振り返っての発言。西武は3連敗していたが、稲尾氏の登板した試合から勝ち始め、4連勝で日本一を獲得した。また、連投4試合目は握力がほとんどなかったと語っている】
の名言・格言
冷静さを保ち、精神を集中して、興奮しすぎないよう、そして疲れないように務めた。 【覚書き:98年鈴鹿でのレース前を振り返っての発言。】
の名言・格言
子供のとき、砂いじりやトランプに時間を忘れて夢中になったよね。あれとまったく同じことなんだ。 【覚書き:圧倒的な強さを持った氏を狙い撃ちしたルール改正後、総合優勝できなくなり、それでもなお滑り続けるのはなぜかと問われたときの発言】
の名言・格言
いまこの試合でうまくやりたい。明日になれば、明日の試合に出てそこでプレーしたい。そうやって僕はここまで来た。僕の目標は「連続出場なんて全然視野になかった1、2年目のころの試合に対するアプローチ」をずっと保ち続けることだ。 【覚書き:ルー・ゲーリックの連続試合出場記録に近づいたとき感想を聞かれての発言】
の名言・格言
教えることなんてできません。本人にその気がなければ、何を言っても同じですから。 【覚書き:巨人軍時代の発言。ダイエー時代のように若手に指導しているのかと問われて】
の名言・格言
全然、相手のパンチ力が違ったね。それだけじゃなく身長から体格まで違った。背が高いからパンチが届かないんだ。でも、そんなに人間変わらないと思って闘うしかない。 【覚書き:フライ級からバンタム級に移ったときの発言。その後、世界フライ級に続きバンタム級でも世界チャンピオンを獲得した。】
の名言・格言
誰かが最初にやるから前例となるし、道もできる。非難されるからといって何もやらなかったら自分は向上しない。 【覚書き:政治家になった時の発言】
の名言・格言
スタート時点で、本当は結果がほとんどわかるんです。 【覚書き:レースまでの努力の積み重ねと、その日のコンディションによって本番のレース結果があらかた予測できるという趣旨の発言。】
の名言・格言
誰かに勝ってやろうとか目立ってやろうという発想からじゃないんです。こんな技ができたら楽しいということに尽きるんです。 【覚書き:ムーンサルト(月面宙返り)をはじめ、新技を開発してきたことについて聞かれたときの発言】
の名言・格言
いままでは世間の通念通りの商売をやってなんとか上手くいっていたが、次第にこれでは物足りないという気持ちが出てきた。いったい生産者の使命はなんだろう、こんなことを連日夜遅くまで考えた結果、私なりにひとつの信念が生まれた。それは簡単にいうと、この世の貧しさを克服することである。たとえば水道の水はもとより価のあるものだ。しかし道端の水道を人が飲んでも誰もとがめない。これは水が豊富だからだ。結局生産者はこの世に物資を満たし、不自由をなくすのが務めではないのか。 【覚書き|松下電器創業13年目で水道哲学を実践しはじめた当時を振り返っての発言】
の名言・格言
6か月間の獄中生活の苦悩は、おそらく経験者でなければその心境を推察することは不可能であろう。私はこのときが人間として最低生活であった。だが、こういうときにこそ人間の日ごろの訓練とか修養とかがハッキリ出てくるものである。胆力もあり、肚も座った人間でなかったら、あるいは悶死するようになるかもしれない。その点で私は宗教的信念を持っていた。抜くべからざる自信である。それがものをいってくると、私はむしろ健康もよくなり、太ったくらいである。 【覚書き|東京市長選挙で選挙資金を贈った容疑で拘留されたときを振り返っての発言。6か月後無罪となり釈放された】
の名言・格言
半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題はない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えているときに、せっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる。 【覚書き|昭和初めの世界恐慌のとき、従業員を一切解雇せず、給料も据え置いたときの発言。生産時間を半日に減らし、余った時間は全社員で在庫を出来る限り売りさばくことに費やすことで経済危機を乗り切った】
の名言・格言
当社のような小さな会社が2倍の売上高の欧米企業を買うのは異常事態でしょう。社内からは驚きはもちろん、反対意見も出てきます。ここでトップの信念が問われます。 【覚書き|英国のピルキントンを買収した当時を振り返っての発言】
の名言・格言
たとえ1%でも安く仕入れれば、それだけ会社が得をする。商売というものはそこまで厳しくやらなければいけないというのが、山地土佐太郎社長の信念であった。計算にうとく、子供のころからあまり苦労しないで育ってきた私には、山地さんのこの実地教育は大変薬になった。 【覚書き|外交官から民間の漁業会社に移った当時を振り返っての発言】
の名言・格言
シアトルに上陸してまず、私は英語の自信をまったくなくした。新聞などは読めるのだが、とにかく聞くことがまるでいけない。何を言っているかさっぱりわからないのだ。それ以来私は、外国語は聞くことが第一。それができなければ役に立たないという信念を持つようになった。 【覚書き|東京帝国大学法学部英法科卒業後、三井銀行でニューヨーク勤務に入った当時を振り返っての発言】
の名言・格言
仕事は本当につらかったが、気持ちは苦しくなく、むしろ愉快だった。俺はこういう苦労をしにわざわざ米国にやってきたのだ、という信念があったからである。 【覚書き|牧場経営を学ぶために米国の牧場で働いていた時期を振り返っての発言】
の名言・格言
既存の大手チェーン3社がしのぎを削る牛丼市場に参入するのは無謀という見方がありました。しかし、私は「工夫すれば隙間は必ず見つかる」という強い信念をもっていました。 【覚書き|牛丼チェーン「東京チカラめし」を開業したときを振り返っての発言】
の名言・格言
そのころ私が抱き続けていた思いは、「ケンタッキー・フライドチキンは素晴らしい」という信念だった。レストランのオーナーにとっても素晴らしいし、とりわけそれを食べるお客にとって素晴らしいと。 【覚書き|ケンタッキー・フライドチキンを開始し、フランチャイズ加盟店勧誘の飛び込み営業していたときを振り返っての発言】
の名言・格言
コンフォタブル(快適)な状態になったら辞める。それがプロ経営者というもの。私はプロとしての信念とプライドで決めた。 【覚え書き:リクシル社長兼CEOから退いたときの発言】
の名言・格言
お前を5分叱ることで、お前はわしを2時間も3時間も占有したんやど。わかっとるやろな。わしがもう何も言わんようになったら終わりや。わしが叱ってるのは、お前に期待してるからや。 【覚書き|部下を叱ったときの発言。氏は叱る前日からどうやったら部下に理解させることができるかを何時間も考えてから叱った】
の名言・格言
経営の問題を討議する会議では、ひたすら怒ります。とくに発言に意識のズレや甘さを発見したときは許しませんし、逃がしません。たとえば、何年間も赤字なのに、黒字にする努力計画や意欲も示さないまま、「こういう状況なので、予測では今後もこの程度になるでしょう」などと平気な顔でプレゼンする事業部長クラスには「もう一回、頭に汗をかいて出直してこい」と、ガツンとやります。会議でガツンと叱ったあとには爽やかにフォローします。そういう点も心がけているつもりです。
の名言・格言
己の分を知っている人は、人の信頼も得られ、社会の中で重くなっていく。不満な人は会社で絶対に伸びない。 【覚書き:経団連会長時に出世する人はどんな人かと問われての発言】
の名言・格言
相手が信頼するに足れば、自らも信頼に値するものにならねばならぬとする努力。これが相互信頼の真髄である。 【覚書き:日産自動車社長時の発言。労組との交渉について語った時の言葉】
の名言・格言
私は朝早くから工場に行き、職長たちと親しみ、晩は職長たちを呼んで茶菓をだして話を聞いた。経営の核心を知るために、原価を的確に知りたく、原価計算も研究した。私のこうした仕事ぶりは、周囲に好感をもって迎えられた。職長たちも、今度の人は前の人たちとは違う、よく話の分かる人だと褒めてくれた。 【覚書き|日本陶管で高浜工場長に就任したときを振り返っての発言】
の名言・格言
物事をスッパリと白か黒かで分けてしまうような話し方は、よくない。断定的な口調、決めつけるような発言をすると、聞かされる相手は、ムッとすることが心理学のデータからわかっているからである。ほかにいくらかは考える余地があるようなあいまいさを残しておくのがポイントだ。断定的な話し方は鼻につく。
の名言・格言
卒業間近になったとき、非常に印象的な言葉を教わりました。相手をインスパイアするために有効なコミュニケーションの方法の第一は、まず相手の言葉を聞くこと。第二は、自分自身が情熱的に生きていることだと。自分に情熱がなかったら、相手がインスパイアされることなんてあり得ないのだと教わりました。 【覚書き|アメリカのコミュニケーション学校のデール・カーネギー・スクールに通った当時を振り返っての発言】
の名言・格言
私は常々、日本をだめにしているのは「かね」人種、つまり発言の語尾に、「~かね」、「~ではないか」、「いかがなものか」といった曖昧な表現を付けたがる人たちだと主張しています。日本のリーダーには、「かね」人種が多すぎる。アメリカに追いつき追い越せという時代であれば、そうしたリーダーでもよかったのですが、目標を見失った今の日本において、いつでも逃げられるような物言いしかしないリーダーが組織の進むべき方向性を示せる筈がないのです。今、日本に必要なのは曖昧な表現をしない、「だ」人種なのだと思います。
の名言・格言
ああ、私が世間で何と言われているかは知ってるよ。でもロシアには、私も含めて若くて金持ちな人間がたくさんいる。そして長生きできないだろうから、稼いだら使ってしまうんだ。私の場合、一流のサッカークラブを持ちたいという夢を実現させているところ。動機を疑う人や、私のことを頭がおかしいと思っている人もいるけどね。短い人生だから、稼いだカネは使うよ。【覚書き|上記発言はチェルシーを買収した時の言葉】
の名言・格言
社員各自がそれぞれ異なる目的を持っていたのでは、企業の発展にとって障害になるだけでなく、末端の社員の規律も乱れます。 【社員数が200名を越えたころから始めた課長クラスとの定期会議について語った言葉。組織が大きくなると意思統一が難しくなるという趣旨の発言】
の名言・格言
2005年までに国内で売るすべてのテレビを液晶に置き換えるという発言は勇気がいりましたが、十年後のシャープを考えるとそうするしかないと思いました。世界に顔が見えて、ブランドイメージの高い会社にするためには、それくらい思い切った決断が必要でした。実際、液晶という四半世紀も続いた技術があり、そこに優れた人材がいるのはわかっていましたから、これを使わない手はない、液晶にかけてみようと思ったのです。
の名言・格言
私はこれまでいろいろなモノをこしらえて商売にしてきたが、たいてい軍とか役所とか放送局のもので与えられた仕様書によってつくったモノばかりだった。それで何か大衆に直結した商品をかねがねやってみたいと思っていた。大衆は製品の厳しい審判官であり、正しい評価をするものだと信じていたので、大衆商品は一番やりがいがあるような気がしていた。 【覚書き|テープレコーダー開発に取り組んだ当時を振り返っての発言】
の名言・格言
物件を見に行くためにシカゴの込み合った通りを歩きながら、私はこう言った。「ジャック、5年後ここにいる連中がみんなスターバックスのコーヒーカップを手にして歩くようになるよ」。ジャックは私を見つめ、笑いながら答えた「夢みたいな話だね」。だが、私にはその光景が見えていた。 【覚書き:スターバックス4号店をシカゴに作ろうとしていた時の発言。ジャックはフランチャイズとレストラン業界のベテランでスターバックスの株主】
の名言・格言
業務上の組織は必要だが、それに属していても、人間としては上も下もないはずだ。したがってなるべく権限を部下に移譲し、若い社員にも大事な仕事を任せる。【覚書き:積水ハウスの成長の秘訣を問われての発言】
の名言・格言
社員に社長の気持ちになれといっても、なかなかこれが通じない。ところが、一方で自分が報酬を払う立場になると、その気持ちがよくわかるわけですね。そういう意味で、フォーシーズに対するロイヤリティー意識も高まりました。教育の意味でもうまく行きました。【覚書|ピザーラにはピザーラ・サクセス・システム(PSS)という「社員が会社に勤めながら自分のフランチャイズ店を持つことができる制度」がある。上記はPSSがスタッフに及ぼした影響についての発言】
の名言・格言
俺はそこで、もうだめだと思って大声で「自分が愚かで、教師の命令を用いなかったために諸君にまでこんな難儀をさせる。実に面目ない次第だ。自分の死ぬるのはまさにこのときだ」と叫んだところ、水兵どもはこの語に励まされ、一同全力を尽くして海岸の方へ(船を)寄せ付けた。【覚書き|長崎海軍伝習所時代の航海実習時に教官からあまり沖に出すぎるなと言われていたが、遠出してしまい、かつ嵐に会って沈没しそうになった時を振り返っての発言】
の名言・格言
外国というものを、ドシドシ若手の連中に目撃させねばいかぬとと思ったから、大いに遊学生を奨励したが、その結果として榎本(武揚)などが、いよいよオランダに渡航することになった。これから講武所師範役となり、また海軍奉行などとなった。【覚書き|講武所砲術師範役時代を振り返っての発言】
の名言・格言
金の卵は鍛えてはじめてそうなる。ネクラだった明石家さんまをトークの達人にしたのも、間寛平を走れる芸人に仕立て直したのも、そのとき彼らに付いていたマネジャーだった。 【覚書き:芸人にとってマネジャーの重要性を説いての発言】
の名言・格言
本心から部下を信頼して仕事を任せてきた。 【覚書き:銀座本社ビルの売却、生産品目削減など厳しい事業合理化を実施し、合理化をなし遂げた時を振り返っての発言】
の名言・格言
三人で受け持ちの工程を一人抜いて私が入る。ちょっと工夫すれば二人でもできる。なるほどと連中が納得したところで、二人でやらせる。不平の連中は仕事から外して遊ばせておく。人数は減っても仕事が楽になるから、真面目な連中は喜んで協力する。 【覚書き:三井鉱山大牟田コークス製造工場の人員整理に取り掛かった時を振り返っての発言】