「撤退」に関する名言
の名言・格言
社長やマネジメント職は、失敗の芽を早く摘むことが大事です。私の経験からすれば10回挑戦すると3回は失敗します。投資するときは6勝4敗でOKです。ただし失敗したときに、即時撤退を上司が決断することが条件です。
の名言・格言
戦争は味方が苦しい時は敵も苦しい。もはや退却という時に、突然敵が撤退するのは、戦場では珍しくない事例である。なによりも、戦意を失わぬことが肝要である。
の名言・格言
わが軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能だ。状況は最高、これより反撃する。 【覚書き|第一次世界大戦でフランス第9軍の指揮を執っていた時の発言。戦況がドイツ軍に押されていた際に】
の名言・格言
迷ったときは、十年後にその決断がどう評価されるか、十年前ならどう受け入れられたかを考えてみればよい。【覚書き|第二次石油危機後、不採算部門だったアルミの国内精錬から撤退した時を振り返っての言葉。合理化案に社内全体から不満の声が上がったが、先行きを見て廃止を決断する。】
の名言・格言
身動きできない状況の中で、体を少しずつ、しかし絶えずゆすぶり続ける。そこに、事態打開の糸口が見えてくる。 【覚書き:IJPC(イラン・ジャパン石油化学プロジェクト)清算問題での苦悩と葛藤を振り返っての発言。IJPC問題とはイランと日本の石油化学開発プロジェクトで三井物産が主導で行っていた。しかしイランイラク戦争が起き、施設が破壊されるなどしたため撤退。一兆円近い損失が出た】
の名言・格言
企業経営にとって大事なポイントは、新しい変化に対してどれだけ対応できるかです。ある意味では、変化への対応能力そのものが経営の本質だと思います。新しい時代に対応できた企業は生き残る。対応できなかった企業は撤退や倒産をしていく。
の名言・格言
これまでのビジネスマン生活でつらかった経験というと、日本でビデオ事業から撤退した時のことです。85年に日本に帰国して、第一営業部の副部長に就任後、ビデオ事業を担当したんです。ビデオ事業は他社からOEMを引き受ける形で行っており、オリンパスとしての付加価値がつけられず、差別化ができなかった。当然、価格競争にも勝てなかった。最後はもう、叩き売るしかなくなったんです。
の名言・格言
社長以下常務の面々が顔をそろえる常務会議の席上、各部のビデオ事業担当者が順々に撤退理由を述べましたが「本当はやめたくない」「続けたい」という気持ちが捨てきれず、私は無念さと悔しさに涙しました。当時の下山社長に「泣くな。この経験は必ずあとから生きてくる」と言われました。でも、あの時にやめておけばよかったんです。止めるときはスパッと止めなければいけません。そこで情を入れたら駄目なんです。 【覚書き|第一営業部副部長時代、担当していたビデオ事業の撤退が決まったときを振り返っての発言】
の名言・格言
私が撤退の決断を急ぐのはできるだけ早く失敗し、致命的な失敗に至る前に早く対処したいからです。ですから、エフアールフーズも、かすり傷程度の失敗で、骨折までには至っていない。ところが、多くの企業は失敗に気付かず、骨折をしてもまだ行けると思って突き進み、どんどん傷口を深くしてしまう。大切なのは、失敗で会社を潰さないことです。ですから私は、かすり傷の時点で撤退を決めます。【覚書き:エフアールフーズは高級野菜を販売する事業を展開したファーストリテイリングの子会社。ユニクロが野菜販売を始めたと当時話題になったが数年で撤退】
の名言・格言
2002年9月に設立したエフアール・フーズの撤退について一言でいうと、我々にとっては大きすぎる仕事でした。エフアール・フーズのトマトなどの農作物は、水や肥料をできるだけ与えずに農作物が持つ力を引き出して育てる永田農法で生産し、品質や味への高い評価をいただいたのですが、手間暇がかかるため残念ながら生産効率と販売効率が合わなかった。当時、フリース・ブームが終わり、何度目かの停滞期に入っていたことから、行き詰まり感を打破する意味でも、チャレンジを試みたのですが、慢心があったのかもしれません。
の名言・格言
失敗といっても、さぼっていたわけではなく、一生懸命やった結果なんです。だからその過程を経営者が見ていて、これ以上続けてはだめだと思ったらスパッと止めるのは当然です。見極めを付けられないでいると、どんどん傷口は大きくなってしまう。あのとき、早く止めてよかったとつくづく思います。 【覚書き|第一営業部副部長時代、担当していたビデオ事業の撤退が決まったときを振り返っての発言】