「戦争」に関する名言
の名言・格言
日本も昔は、地域ごとに藩があり、お互いに争っていましたが、今は、争いがありません。それは交流を通じて国としての一体感が生まれたからであると思います。他国の人との交流関係が貿易を通じて広がったならば、地球人としての仲間意識を持ち、世界中から戦争がなくなる日がくるはずです。
の名言・格言
太平洋戦争がなかったら私はSF作家にはならなかったでしょう。開戦直前の1941年春、小学生の私は小学生新聞の読み物で「マッチ箱ひとつの大きさで富士山を吹き飛ばす」という原子爆弾なるものを知りました。そんなことがあるはずもないと思ったのですが、45年8月6日、広島に原爆が投下されました。文明の終末観を初めから心に抱え、それを表現する手段としてSFを選んだのです。文明はどこに行くのか、地球規模の問題にどう取り組むのかと考え続けていまに至りました。
の名言・格言
地球ゴージャスを立ち上げきっかけは阪神・淡路大震災でした。あのとき医者は人を助けて、大工は家を建て直すことができたけど、俳優は何ができるのかと考えたとき、無力な職業だなって思ったんです。そんなとき、テレビでどこかの国の戦争の場面を見かけました。街が破壊されているのに、その人たちが壁に映し出された映画を観て笑っていたんです。「これだ」と思いましたね。唯一自分ができるのは、人の心を和ませること、人の心をゴージャスにすることだと……。だから、自分は人の心や地球全体をゴージャスに飾っていきたいと考えて、1994年に「地球ゴージャス」を結成したわけです。
の名言・格言
人の心は日々、千変万化する。だが、喜怒哀楽や物事の大小にとらわれず、現在の自分でできるかできないかで判断する。そのためには正しい自分を常に知り続けなければならない。私が座右の銘とする「知己 自分自身を知る」とは、戦争から今日にいたるまでの体験から生まれ出た人生の取り組み方、また、そうありたいと願う私の願望の言葉でもある。
の名言・格言
戦争は終わった。惨憺たる敗戦である。グリコの本拠もかくのごとく灰燼に帰した。しかし、我々は決してグリコの再生復興を疑ってはならない。工場も機械も、材料も商名も一切が焼け失せたが、ここにまだ、さすがの敗戦にも焼けなかった最大の資本がある。それはグリコという看板である。のれんである。名前である。これは過去30年間営々として築き上げてきた我々最大最高の資本である。
の名言・格言
巣鴨に収容されてから国際軍事法廷が開かれるころまでの半年間は、やはり自分の運命がどうなるかを考えると精神の動揺は避けられなかった。それが、秋風の吹くころから気持ちが落ち着き、健康もよくなってきて、50数年の人生を振り返る余裕ができた。留置生活はいままで過去を振り返ることのなかった私にとって人生行路を反省する天与の機会となった。 【覚書き|太平洋戦争終結後、A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留されていた当時を振り返っての発言】
の名言・格言
商売気を離れて油の用意をした。私のお客だけは油不足で仕事を休むようなことはなかった。他の事業会社では油が切れて事業を休んだところがたくさん出た。私はただお客のために油を用意しただけだ。しかし戦争が済んだら、油は出光に任せておけということになった。金は儲けなかったが、得意先を儲けたのだ。
の名言・格言
商売人にとって重要なことは、機敏なことである。 【覚書き|長州戦争時に戦地で衣料品の需要が高まるだろうと考え、下関に命懸けで荷物を運ぶなど、スピードと行動力で伊藤忠は富を蓄積していった】
の名言・格言
人間はだれでも人生における大きな転機がある。私の場合には、戦争でした。それと仕事を通じて知り合えた多くの人たち、なかでも土光敏夫さんとの巡り合いは私の人生を大きく変えました。戦争と土光さんとの出会いがなかったら、私の人生はいまとまったく異なるものだったでしょう。
の名言・格言
降伏するのであれば、その艦は停止せねばならない。しかるに、敵はいまだ前進している。 【覚書き:日露戦争日本海海戦での発言。バルチック艦隊が白旗を上げて降伏したが、前進し続けたため砲撃を続行させた。国際法にのっとった、ルールを徹底した砲撃だった。東郷平八郎の冷静で、厳格、そして用心深い性格をよくあらわしたエピソード。】
の名言・格言
戦争ほど尊い人命を無駄にするものはない。たったこれだけの弾薬を使っただけで、一人の戦死者も出さずにすんだのだ。なんと安上がりなことか。 【覚書き:朝鮮戦争時に防衛のため大量の弾薬を使ったことについてアメリカ議会から使いすぎではないかと問われていった言葉。部下を死なせずに済むなら弾薬を大量に使っても安いものだという趣旨の発言】
の名言・格言
君、死んじゃいけないよ。宇垣(纏)中将は沖縄に飛び込んだ。大西(瀧治郎)中将はハラを切った。みんな死んでいく。これでは誰が戦争の後始末をするんだ? 君、死んじゃいけないよ。 【覚書き|小沢治三郎中将は太平洋戦争終戦後、自害し無駄死にしないよう部下の将兵を諭して回った】
の名言・格言
造らないかんものなら、仕方がなかでごわしょう。それ(文部省の予算流用)が知れて、許してもらえんのなら、山本さん、二人で二重橋(皇居)の前で腹ば切りもんそう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です。 【覚書き|海軍大臣山本権兵衛が内務大臣だった従道を訪れ、海軍の主力艦三笠の建造費用が確保できないことを相談した。従道は文部省の予算を流用するよう提言する。予算流用は大罪だが、当時の日本に必要な費用だと上記発言をして実行する。戦艦三笠はこのあと日露戦争日本海海戦で活躍する】
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城をかように高く築いてあるものも、かほどに堀を広く設けてあるのも、みな戦争の備えなのだぞ。西国の敵がこの城を奪わんとしたときは、徳川の武人の屍が、この塁をもっと高め、戦士の血がこの池をなお深くするはずである。死を忌みごとと思う了見なら、最初から城など造らぬがよい。【覚書き|城代として勤めていた大坂城で病にかかったとき、息子の重次がやってきて正次を私宅に下がらせようとしたときの発言】
の名言・格言
諸君が実行不可能としてあげた諸点をひっくり返せば、それだけ奇襲の効果が上がるということだ。【覚書き|朝鮮戦争仁川(インチョン)上陸作戦の戦略会議での発言。仁川上陸が成功すれば北朝鮮の補給線を潰すことができ、戦況が一気に有利になることがわかっていたが、地形上とても難しかった。将校たちができない理由をいくつも挙げたので、上記の発言が発せられた。このあと仁川作戦は成功する】
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軍備に制限は加えられても、訓練に制限はないのでしょ? 【覚書き|ワシントン軍縮会議で日本の主力艦保有量を米英の6割にする条約を締結したことを聞いた時の発言。ハードで劣る状況を戦闘技術や兵の連携で克服しようとした。海軍の猛訓練体質は太平洋戦争終了まで続く】
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いまは必勝の信念の方に進みますが、他面の時機も常ににらんでいくつもりです。 【覚書き:昭和20年に高松宮へ発した言葉。他面の次期とは戦争を終わらせることを意味している。海軍大臣時の発言。】
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俗語を使いまして恐れ入りますが、ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならないようご注意を願いたいと思います。 【覚書き:太平洋戦争開戦直前に昭和天皇に献じた進言。当時日本はアメリカの経済封鎖で経済的にジリジリと窮地に陥っていっていた。】
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もうそろそろ戦争をやめる時である。何をぐずぐずしているのか! 【覚書き|日露戦争の奉天会戦勝利直後、参謀本部次長の長岡外史に面会しての発言。局地戦で勝ったが日本の国力はまだ弱く、このまま続けたら必ず負けるという見通しがあった。さっさと日露戦争を終結させ有利な状況で終わらせろという趣旨の発言】
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作戦計画を立てることは誰にでもできる。しかし、戦争をすることのできる者は少ない。なぜなら、できごとと状況とに応じて行動するのは、軍事的天才でなければできないことだからである。最上の戦術家が将軍として、ともすれば凡庸であったりするのはそのためである。
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戦争はこちらが風邪をひいている時にもはじまる。これしきの寒さでくたばるような当主なら、もっと頑丈な者に当主をかわってもらったほうが徳川のためだ。 【覚書き:井伊直孝は平和な時代になっても有事への備えのため武具や馬などに金を使い、生活は質素にしていた。屋敷内は隙間風が入り、着物や寝具は粗末だった。医者が寒さ対策をしたほうがいいのではとアドバイスしたときの返答】
の名言・格言
君に合戦計画を与えるつもりはない。達成してもらいたいことを計画しただけであり、それをどのように達成するかは君の自由だ。 【覚書き:シャーマン将軍に与えた言葉。南北戦争で南軍を攻めるうえで明確な目標を与えたが、どう達成するかは自分で考えよと裁量権を与えた】
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戦争は味方が苦しい時は敵も苦しい。もはや退却という時に、突然敵が撤退するのは、戦場では珍しくない事例である。なによりも、戦意を失わぬことが肝要である。
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取引先が企業戦争に敗残した姿には心痛み、銀行として取るべき態度に迷うこともあった。しかし、経営者がしっかりしていれば、たとえ一時的に苦境に陥ることがあっても、たいていの場合立ち直れる。【覚書き|上記発言は拓殖銀行会長時に銀行経営について語った言葉】
の名言・格言
為替取引は一種の情報ゲームです。情報をどれだけ持っているか、あるいは自分の持っている情報を新しい事態の出現によってどれだけ修正していくか、そしてそれを今度はどう発信していくか。現代のような高度情報社会では、為替市場に限らず政治や行政も含めて社会のあらゆる活動が情報ゲーム的な側面を持つ。その意味では、戦争もまた勝つか負けるか、命をかけた究極の情報ゲームといえます。
の名言・格言
為替市場もまた経済戦争の一種ですから、情報収集には人一倍の努力が必要です。市場では質量共に他人より多くの情報を持つものが勝つという鉄則があります。はっきりしているのは、情報のない者が負けることです。
の名言・格言
彰義隊の戦争の日だったが、官軍200人ばかり出て、俺の家を取り囲んで、武器などはいっさい奪い去ってしまった。しかし、このとき俺が幸いに他行(外出)していたために、殺されることだけは免れた。こんなふうに九死の中から一生を得たことは、これまでずいぶん度々あったよ。思えば俺も幸せ者さ。
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この世界には、いつの間にか僕らがすっかり信じ込まされたデマゴギー(デマ。意図的に流される虚偽情報)が飛び交っている。たとえば「若さにはかけがえのない価値がある」という言説だ。だが、若さに価値があるなどという言説は、実は巧妙に作られたウソである。もしも本当に若さそのものに価値を見出している者がいるとしたら、それは戦争を遂行中の国家ぐらいのものだろう。若さに値打ちなどないからこそ、人生は生きるに値するものなのだ。
の名言・格言
戦争において、いざ闘おうとするときに必要なのは、多少の熱い血と、勝つことよりも負けることの方が危険であるということを知ることである。
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何事も最初に道を開くのは難しいが、私が保険の合併を実行した結果、その後の保険界の合併は円滑に発展し、大いに貢献したと思っている。 【覚書き|太平洋戦争前、日華生命(第百生命の前身)勤務時代に、保険会社の合併を手掛けたことを振り返っての発言。発言時期はコマツ社長時代。】
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身動きできない状況の中で、体を少しずつ、しかし絶えずゆすぶり続ける。そこに、事態打開の糸口が見えてくる。 【覚書き:IJPC(イラン・ジャパン石油化学プロジェクト)清算問題での苦悩と葛藤を振り返っての発言。IJPC問題とはイランと日本の石油化学開発プロジェクトで三井物産が主導で行っていた。しかしイランイラク戦争が起き、施設が破壊されるなどしたため撤退。一兆円近い損失が出た】