「危機」に関する名言
の名言・格言
心のどこかに「JALが潰れるわけはない」という気持ちが社内にあったのではないかと思います。しかも、経営が危機的な状況に陥っても、そういう誤解を続けていたのではないか。そこが、我々の最大の反省点だと思っています。この意識を変えていかない限り、また同じことが繰り返される危険性があると思います。
の名言・格言
以前、うちの会社は危機でした。470億円の負債を抱えて、つぶれるかどうかの瀬戸際です。僕は3年間は財務の立て直しに精を出し、原点回帰を訴えました。店を改装して、オープンキッチンを徹底し、作り置きやセントラルキッチンでの調理をやめました。店長の自主性を重んじました。それで数字が上がるようになり、借金はほとんどなくなりました。
の名言・格言
さて、こうした危機に瀕する中、 この死んだ世界戦線に別の思想を持つ者たちが現れ、 戦線を新たな道に導こうとしている。 その道は、現在のこの世界における 危機回避の一つの選択肢にもなりえる。 なのでそちらの道の代表として、 音無君、堂々とここでその想いを語ってもらえるかしら
の名言・格言
私はもう安閑として机にかじりついている気がしなくなった。学校を退き、家事を手伝って、我が家の危機を乗り越えるとともに、村の窮乏を救うために努力したいと決心した。貯蓄と言っても一人ではなかなかできにくい。また村全体が立ち直るには、村全体がやらねば意味がない。私は貯蓄組合をつくろうと思った。 【覚書き:上記は岡野氏が20歳のころに郷里の大飢饉を目の当たりにして立てた志。旧制中学は現在の高校】
の名言・格言
倒産の危機も経験して、借金をすることがいかに惨めなことかを痛切に感じた。借金をしないことだけは、集団指導体制なっても申し送りたい。
の名言・格言
次々と新しいことに挑戦していますが、ビジネスというのはリスクゼロということは決してありません。次の勝負がひょっとしたら、大きな失敗のときかもしれない。その危機感が常にあります。
の名言・格言
仕事でスランプを感じたのは、30代後半です。順調に仕事をこなしていたのですが、「ああ、渡辺謙はこんな感じだね」という評価が固まりつつあることに危機感を持ったんです。そこで僕の30代を支えてくれた人気ドラマシリーズを、泣く泣くすべて降板しました。
の名言・格言
祖父からは商売について多くのことを教わった。いまにして思えば、それが帝王学だったのかもしれない。「商売は10年やったら3年は損する。5年はトントンで、儲かるのは2年。事業なんてそんなもんや」忘れられない祖父の口癖だ。経営者の心構えを説くいい言葉だ。その言葉はいつも私に、危機感と緊張感を与え続けてくれている。 【覚書き:町田氏の祖父は肥料の製造販売を行っていた商売人で、町田氏が小さいころから商売の現場を連れ歩いた】
の名言・格言
「なぜ、この時期に社長を辞めるのですか」と聞かれることがあります。会社を立て直すのがあなたの役目じゃないかというのです。しかし、新しい執行部は、この厳しい時期を乗り切ることでチームワークを固めるでしょう。私が陣頭指揮をとりつづけても危機突破はできるでしょうが、その後の成長を考えると若いメンバーに託したほうがいいのは明らかです。だから、あえてこの時期に社長交代に踏み切りました。 【覚書き|リーマンショック後に社長を辞任し、相談役に退いたことについて語った言葉】
の名言・格言
どのような危機の時も私はたじろがなかった。むろん解決に自信があったわけではない。どんなときも全身全力でぶつかってきた。私は信じていたのである。あの戦地の地獄の白骨街道を生き延びてきた自分には、52人の戦友の魂がついている。ここで倒れるわけにはいかない。また彼らが助けてくれぬはずがないと。
の名言・格言
半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題はない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えているときに、せっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる。 【覚書き|昭和初めの世界恐慌のとき、従業員を一切解雇せず、給料も据え置いたときの発言。生産時間を半日に減らし、余った時間は全社員で在庫を出来る限り売りさばくことに費やすことで経済危機を乗り切った】
の名言・格言
危機対応の際、議論したり会議をしたりしても命を救うことはできません。過去に例のないことだとしても、場合によっては平常時の規則を逸脱してでも、やるべきことは信念に基づいてすばやく行動することが求められます。誰かが勇気を持って一歩を踏み出さなければ、物事は動かない。
の名言・格言
叱り方に自信がなく、あえて部下と距離をとる上司もいますが、これは感情任せで叱るより悪いことです。最近は指導とパワハラの境目がわかりにくく、リスクをとるより放置しようと考える心理もわかります。しかし、部下と向き合わず、陰で愚痴をこぼすような上司がはびこる組織はもはや存続の危機です。部下のタイプに合わせて叱り方を変えることなどは必要ですが、とにかく対処することです。
の名言・格言
危機下の状況では、情報の出所を一つにする必要があります。誰が話をするのか、それはもちろんトップです。まずは現状について、それから今どんな計画を立てて、何をしようとしているかについてトップが話をする必要があるのです。それがトップの責任なのです。これは、危機下の状況にある企業が失われた信頼を取り戻すためのひとつの方法でもあります。
の名言・格言
私は運が強い男だ。それを信じてついてきてくれ。一緒に頑張ろう。 【覚書き:経営危機に陥っていたアサヒビールの経営改革を始めたころの言葉】
の名言・格言
トレードをするに当たっては、予想をして当てることも大事ですが、それよりも重要なことは、予想が外れたときや、突発的なことが起きたときの危機管理だと思います。結局、投資(或るはトレード)も長丁場です。また、よく動くからといって儲けやすいかというとそうでもありません。もちろんそういう相場が得意な人も中にはいると思いますが、普通の人は上げ下げに振り回されてそんを積み上げてしまうのが関の山です。時には無理をしないというのも長く投資を続ける秘訣だと思います。
の名言・格言
伝説の投機家ソロスでも、相場の世界では百戦百勝というわけにはいきません。98年のロシアで起きたロシア・ルーブル危機では、大変な損失を被っています。ソロスは自分の身をもって誤謬性と相互作用性の両方を体験したということでしょう。
の名言・格言
富士フィルムが大きく変貌することに成功したのは、貿易自由化の危機の時期を経てなのです。自由化が進む中で、世界企業として生き残っていくにはどうしたらいいかと本気で考えた。あのとき、企業として生き残れるかどうかの瀬戸際で本当に真剣に考えた結果が、いま良い影響を及ぼしています。厳しいコスト削減とユニークな商品開発を大切にする問う発想は、貿易自由化に伴う競争の恩恵と言っていい。
の名言・格言
昭和24、5年の苦しさは私の骨身に徹した。こんなことは2度と繰り返したくない。普段からあらゆる場合に対処できるよう、石橋を叩いて渡る経営に踏み切ろうと固く誓った。【覚書き|戦後まもなくの頃、営業不振で銀行取引停止寸前まで経験した時を振り返った時の言葉。なんとか乗り切るも経営危機はつらい経験だったため、以後シャープは健全経営ひとすじで会社を切り盛りする体制が形作られた】
の名言・格言
日常の生活の中にギラリと光る断面で、繰り返しのきかない場面にこそ人生がある。人間が生命をかける事業がそうである。自分を進んで危機に追い込んでいき、持てる全力を投入する。これが本当の人生である。
の名言・格言
迷ったときは、十年後にその決断がどう評価されるか、十年前ならどう受け入れられたかを考えてみればよい。【覚書き|第二次石油危機後、不採算部門だったアルミの国内精錬から撤退した時を振り返っての言葉。合理化案に社内全体から不満の声が上がったが、先行きを見て廃止を決断する。】
の名言・格言
93年くらいから94年くらいに、これからは日本国内での商売の機会が減っていくのだという危機感をかなり持ちました。要するに、日本の商売にこだわっていてはだめだぞと。もうグローバルだと。国内の売り上げナンバーワンに向けて努力をするなら、その労力を海外に向けて、海外から売上ナンバーワンを出さなければいけない。海外にビジネス機会を探さない限りは、会社の成長はないという意識を持ちました。
の名言・格言
私が昭和39年の入社、奥田(碩)にしても昭和30年入社ですから、労働争議そのものは生で経験していません。でも、若いころに諸先輩方たちから辛酸をなめた時代の話を集中豪雨的に聞いていますから、身にしみついているんです。ただ、いまは豊かな時代に育って入社した世代ばかりです。苦労性と言われるかもしれませんが、語り部として危機感を後進に語り継いでいるつもりなんです。
の名言・格言
時代の変わり目にあるということが、実感として世の中にあまり伝わっていません。そこに問題があると思うんです。明治維新では幕藩体制が解体するという大事件があって、新しい国を作ろうと若い下級武士や公家たちが立ち上がった。昭和20年には敗戦によってアメリカの占領という大事件を経験した。そして公職追放で20万人以上の人が公職から追放され、かわって30代、40代の若手が行政や経営などの第一線に立ったわけです。「俺たちがやらなければ日本の国はどうなってしまうのだろう」という強い危機感があった。ところが今の時代は人々を立ち上がらせるための起爆剤となるような事件がない。
の名言・格言
事業というのは必ず苦しい時があるわけです。経営者の判断能力を問われるのは「一時耐えることで再び上昇に向かうのか?」の判断です。「3年で雇用を増やせたのだったら、頑張って人数を減らさずにしておけばよかったじゃないか」とおっしゃる人がいると思うんです。でもそれでは危機感が生まれないんです。危機感を持ったから、会社が再スタートして、雇用を増やせるところまで来たんです。危機感がなければ再生はあり得なかったんです。
の名言・格言
日本の建設機械市場はバブルのころと比べると3分の1になってしまいましたが、それでも必死になって多角化を目指したり、雇用を維持してきたわけです。でも、それでは結果が出ず危機感も生まれずジリ貧状態でした。そこで私は早期退職者を募ったのです。
の名言・格言
常に危機感を持ち続けるとともに、サクセスストーリーを作ることが大切だと思います。サクセスストーリーは次の変革を推進するバネになるからです。いい芽は出始めてきたという実感はあります。この調子で行くと、各グループ会社は外に出ても十分に競争力を持つ存在になっていくと思います。
の名言・格言
どの業界でも、国内ナンバーワン企業は上がありませんから世界を見るしかないんです。そのため、意外にもナンバーワンの企業こそ危機感がありますし、社員もそれを感じて勤勉に働くわけです。
の名言・格言
私は54歳の時に、富士銀行取締役からテルモに常務として転身しました。そのときのテルモの第一印象は、名前と業種しか知りませんでしたが、最初に感じたのはあまりにも企業文化が違うことと、財政的にギリギリのところまで来ているにもかかわらず、危機感がまったくなかったことです。
の名言・格言
どの業界でも、国内ナンバーワンの企業は危機感を持っています。それは、世界を視野に入れているからです。しかし、ナンバーツー以下の企業は自分より一つ上の企業しか見ていない。一つ上の企業に追いつこう、追い越そうということにどうしても意識が向いてしまう。その先のより広範囲を見渡せば、本当はもっとたくさんの敵が存在するのにもかかわらず、目の前しか見えない。あまり危機感がないのです。
の名言・格言
会社が危機に直面していたとしても、社内に危機感があれば危機に立ち向かって乗り越えることができるのですが、そもそも危機感がまったくないということ自体が一番の危機なんです。意外にも社内の人間には危機感がないものなのです。内向きの思考では、なにもかわらない。鎖国状態で組織の内部だけ見ていては、危機感は生まれません。
の名言・格言
毎日の仕事の中で、いかに従業員全員がハングリー精神に対抗できるだけの姿勢をとれるか。私は「危機感」というより「センス・オブ・アージェンシー」、つまり、緊迫感、緊張感、焦燥感といった危機意識を持つことが大事だと言い続けている。つねに全員が言われた通りの仕事だけをやるのではなく、もっと視野を広げて事業ごとの業界の動きを把握しながら、2・3年後の将来に向けたベンチマーキング(定期測定)をするということです。
の名言・格言
攻めの経営への具体策はグループ社員が一丸となって新しい全日空を作ることに尽きます。言ってみれば、いまほど危機感を抱えているときはないわけで、みんな緊張していますから、一丸となって危機を乗り越えるチャンスだと言っています。「ピンチはチャンス」全員が企業家精神を持ち、危機に立ち向かって競争力をつけていかなければいけない。
の名言・格言
私が修羅場を生き抜いてこられた秘訣をひとつだけ挙げるとするなら、「自分を捨てる」ことです。修羅場では生命の危機だってあるかもしれない。そういう腹をくくって取りかからなければいけない場面に直面した時に、怖がって逃げずに立ち向かっていけるかどうか。北九州で苦情処理をしているときは私は生きて帰れるとは思っていませんでした。
の名言・格言
リスクがないところには、チャンスがない。チャンスがあるところには、必ずリスクがあると言ってもいい。もちろん、リスクヘッジ(危機回避)について考えなければいけないのですが、いつも石橋を叩いてばかりいて渡らないのでは、展望は開けないのです。