夢があれば、前に進む力が生まれる。
いまはむしろ前例がないからやってみる時代だ。激しい変化は前例踏襲では乗り切れない。いままでの上司のやり方は手本にならないということになる。何を受け継いで、どこを変えるのか。取捨選択する能力が問われるのではないだろうか。思い切って変えていかなくてはならないものとは何か。それは前例踏襲主義だ
これからの時代に求められる上司は、個性派ぞろいの部下を上手に束ね、力を一つの方向にまとめ上げることだろう。パソコンが得意な部下にはパソコンについて聞けばいい。なるほどそんな裏技もあるのかと興味がわけば、自分の仕事に生かしていける。つまり部下から取材するのだ。知りたいことは取材する。わからないことは相談する。大切なのは方向を示すことなのだ。そのための素材は多ければ多いほどいい。
生き残れる上司と生き残れない上司。その差を決めるものは何だろう。ずっと突き詰めていくと、好奇心ということになると思う。それもそこそこの好奇心ではなく、極めて旺盛な好奇心だ。意欲とかやる気というのは煎じつめていけば好奇心と責任感という要素から成っていると思う。旺盛な好奇心があれば知らない分野に取り組んでいける
多少きつい言い方になるかもしれない。しかし本気で自己啓発に取り組めない管理職はどこかで落ちこぼれる。時代はいつも変化している。変化に対応するためには自分自身を変えていく必要がある。そこそこできればいいと思っていると、ある程度のところで満足してしまう。自己啓発はそこで終わる。大切なのは自分に満足しないということなのだ。
物わかりのいい上司を演じたがる。その気持ちはよくわかる。自分を良く見せたいというのは悪い事ではない。でも演じるなら最後までだ。責任は俺がとると言ったら、とるのだ。間違った方向に進んでいれば軌道修正する。迷っていればアドバイスする。そういうケアをしてこそ最後に責任がとれる。責任をとるとは具体的にどうすることだろう。部下の失敗を自分の失敗として謝りに行くことだ。
上司がやっていけないことをあげておきたい。たとえば一人の部下をみんなの前で褒める。このときに、つい口をすべらせて「それにひきかえ○○くんの成績はどうだ、トップの人の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ」などと言ってはいけない。絶対にいけない。褒めるときは純粋に褒める。他人と比較したり、他人をこき下ろしたりしてはいけない。
部下にやる気を起こさせる手っ取り早い方法は、まず自分のやる気を起こすことだ。やる気のある人間には誰でも引きつけられる。リーダーも部下に見られていると思えば、いやでもやる気を出さざるを得ない。テレビタレントや役者がいつも生き生きしているのは、多くの人に見られているからだ。見られるということを意識しているからだ。あなたが思っている以上に部下はあなたのことを良く見ていると意識した方がいい。しかも隠したいと思う部分ほど・・・
下から突き上げられ、上から抑えられるという中間管理職の宿命は変わらずに続くということだろうか。ぼくは必ずしもそうとは思わない。部下を競わせて仕事の相乗効果を高めていく。それがチームの力をつけるということなのだと思う。中間管理職はそれを学ぶ絶好のポジションになるはずだ。もっと言えばここで何ごとかをつかめなければ上にはいけない。個人の手柄にこだわっているようではもう一つ上は目指せないということなのだ
部下が上司に最も望むことは、的確な指示を出してほしいということだった。上司はどうか。いや自分は的確な指示を出していると思っているはずだ。確かに部下には甘えがあるかもしれない。しかし厳しい言い方をあえてすれば、伝わらなければ的確な指示とはならないのだ。指示は的確に伝わらないものと心していたほうがいいかもしれない。
管理職にあるものの必須条件は公正さだと思う。複数の部下を持つ管理職は何はなくとも公正であってほしい。公正とは偏りがなく、正しい事だ。同じ二人の部下とはいえ、キャリア半年の新人とキャリア3年の部下を公平に扱うのは問題がある。だから公正に扱う。相手に合わせて対応するがなぜ対応に違いがあるかを理論的に説明できるのが公正さだと思う。
部下との関係が密に保たれていると、何を悩んでいるのかどこに問題を抱えているのかなどが見えてくるはずだ。そうなれば、さりげなくアドバイスもできるだろう。ぼくが知っている魅力的な上司というのはみんな人間通だ。しかし、退職して一気に生彩を欠いてしまった人もいる。そんな人たちを見てつくづく思うことがある。それは継続は力なりということだ。失敗を繰り返し億劫がらずに人間関係の中にまみれている間だけ魅力的な人間通の上司でいられるのだろう。