川本(日出生)さんは戦前、ミシン部品工場を儲けさせた恩人だ。あんたの信用で2000万。前田(増三)君、君はミシン輸出で商社に信用がある。製品引渡しの約束で2000万手形で借りてきたまえ。僕は広告印刷業界で2000万円ぐらいの信用はある。3人合わせれば6000万円じゃないか。信用は金と効用においてちっとも変わりがない。3人の運命をかけた信用資本を食いつぶすまでに、なんとかこの会社を軌道に乗せるんだ! 【覚書き|終戦後、元蛇の目ミシン社員たちとリッカーミシンを立ち上げたときの発言。】
近江商人は伝統として主人は直接経営に携わらず、丁稚から叩き上げた有能な番頭に各地の店を任せてやらせるというしきたりであった。またそのために新しく入ってきた丁稚小僧を、将来の幹部、近江商人の伝統を引き継ぐ人間にするための人づくりを行ったものだ。給料も最初は低賃金。むろん最低の人件費に抑えるという考えもあったろうが、極度に質素な生活に耐え抜く意思の強固な人間をつくるという意味も加味されている。夜は習字、算盤、閑散期には礼儀作法から謡曲の稽古をさせ、将来立派な商人としての幹部を育成するという考えがその底には流れていた。
私がミシン事業に頭を突っ込んでから30年、私より優れた才能を持つ多くの先輩や同僚の助けによってここまで来た。蛇の目が今日あるのは同志たちのチームワークの成果なのだ。