それならば、わしが目付を買って出よう。お前は副吏と心得よ。副吏の心得をどのように思うか。家中の者たちから恐れられるようになろうとしては、かえって害が出てくるものだ。上よりまず礼儀を正し、家臣はその恩恵をかたじけなく感じて我が行いを恥じるようになりたいものだ。 【覚書き|弟の島津義弘から「最近平和になり家中の若者たちの風紀が乱れてきたので厳しく叱っていただけませんか」と進言された時の返答】
表に桜を植えたのは、参詣する人が花を楽しみ、心が豊かになるだろうからだ。裏に栗を植えたのは、栗の実は何かあった時には食料となり、枝は薪にも使うことができる。桜は花を楽しませ、栗は実を取る。 【覚書き:熊本に寺を作った時、門前に桜を植え、裏には栗の木を植えた。上記発言はなぜそうするのか問われた時の返答】
肝要のところに気を配れ。どうでもよいところに気をつけるものではない。小板葺きにして立派になっても、百姓が疲れきっているようでは、使者は国主の政治が良くないことを見抜くだろう。使者になるほどの者は、様々なことに気付く者だ。途中、当国の地を通って風俗、生活を見て、富み栄えているか、城門が粗末であろうと何の問題もない。むしろ、城門は立派なのに民衆が疲労している方が問題だ。 【覚書き:上記発言は、他国からの使者に見栄えが良いよう茅葺きの城門の屋根を小板葺きに造り替えてはどうかという家臣からの進言への返答。】
良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない。