過去の名言から知り、今の生活に生かす

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小倉昌男の名言・格言

会社を経営するのに適齢期と言うものがあるとは思わない。だが経営の仕事を一人前にこなそうと思ったら、それなりの人生経験が求められるのは間違いないだろう。今の時代は20代30代でベンチャー企業の経営に乗り出す若い人も多いが、旺盛なチャレンジ精神は素晴らしいことだと思うものの、いささか心配になることがある。若い世代の人間ほど経験の価値を過小評価し、情報や知識があれば何でもできると思っている節があるからだ。

好奇心のない人間は新しいものを生むことができないし、自分を成長させることもできない。当然、仕事も面白くはならないだろう。逆に、旺盛な好奇心を持ち、自分の頭で考えられる人間は、退屈な仕事を与えられても、それ自体をなんでだろうの対象にできる。決められたマニュアルがあるなら、その仕事にそのマニュアルが用意されている理由をなんでだろうと考えることができるわけだ。

やりたいことが見つからないと言う若者は、どこかに必ず自分にぴったりあった仕事があって、いつかそれに出会えるはずだと言う錯覚を持っているような気がしてならない。それは順番が逆だ。どこかに好きな仕事があるのではなく、目の前にある仕事を好きになれるかどうかが大事なのではないだろうか。

粉飾決算は絶対にやってはいけない。売上が目標に届かなかったときの不安や動揺はわかるが、そこは歯を食いしばって耐えなければいけない。いったん誘惑に負ければ、あとは地獄が待っていると言っても過言ではないだろう。ひとたび粉飾に手を染めたら最後、毎月毎月、必死になってごまかしつづけなければならないのだ。悪事を働いているのだから同情の余地はないが、それはそれは大変な苦労だ。しかも嘘はいつか必ずばれる。

人間にとって何がつらいといって、自分が何の役にも立っていないと感じるほどつらいことはない。仕事の価値は収入の多寡で決まるわけではない。その仕事を通じて社会にコミットメントして、世のため人のために役に立っているという実感が得られたときに初めて、私たちは働く喜びや生きがいを持つことができるのである。

リーダーとしての責任を果たすためには、多少の遠回りは覚悟の上で、自分の頭で考えられる部下を育てなければいけない。あいつらに任せるより自分でやったほうが早いと短気を起こすと、結局は忙しくなって自分の首を絞めることにもなる。

リーダーが考えるべきは部下に仕事を任せることだろうと私は思う。全体的な方針や仕事の大枠はリーダーが決めたとしても、具体的な仕事の進め方は部下に任せる。ここはお前に任せると言われれば、誰だって自分で考えようとするだろう。「仕事を任される」と「自分の頭で考える」は表裏一体の関係にある。マニュアル人間が自分で何も考えようとしないのは、何一つ任されていないからだ。

働いている人間は、必ず自分の仕事に対する評価を求める。自分自身でよくやったと思えたとしても、それだけで満足できる人はまずいない。いい仕事をしたという手ごたえがあるときほど、他人にもいい仕事をしたと認められたいのだ。評価の程度や内容は仕事によってさまざまだが、それが次の仕事への意欲につながると言う点ではなんら違いはない。その評価が収入の増減に結びつくとなれば、なおさら本人にとって大問題だ。

部下に仕事を任せるのは非常に勇気のいることだ。安心して任せることのできる右腕的な部下がいればいいが、現実はそう甘くない。どの部下も頼りなく見えてしまい、つい自分ですべてをやってしまいたくなる人が大半だと思う。だが、それをやっていると、いつまでたっても部下は自分で考えるようにならない。気がつくと決められたことを黙々とこなすだけの人間ばかりが現場で働いていることになってしまう。

自分に合った理想の仕事を探すのではなく、目の前にある仕事に惚れることが大事だ。最初は意に染まないと思っていた仕事でも、やっているうちにおもしろくなるということはいくらでもある。与えられた仕事に惚れようと思ったら、まずはその仕事と社会との接点に目を向けてみるのも一つの方法だと思う。

理論だけじゃ利益は出ない。しかし経営に筋道を立てないと利益が出ないことも事実。過当競争で構造不況だという。しかし儲けている企業もある。なら、どうして自社がだめなのか、どうすればいいのか。トップは汗を流すことだけじゃ十分ではない。【覚書き:理屈が多い経営と揶揄されたときの返答。理論と行動の両輪が必要と言う趣旨の発言。】

戦後50年という一つの時代が終わり、時代の潮流がその流れを大きく変えようとしている。まさに時代の大きな変わり目に来ていると思います。過去100余年の歴史を振り返ってみますと、日本はこれまでに2度、時代の激変を経験しています。ひとつは明治維新。つぎに昭和20年の終戦のときです。現在はそれらに匹敵するぐらいの規模で時代が大きく変わろうとしています。

幕府という牙城が崩壊したからこそ、近代国家・日本が誕生した。ところが、いまは旧来型の官僚組織を残したまま新しい時代に突入しようとしている。これが今の時代の最大の不幸だと思っています。日本全体に「時代の大きな変化の中にいる」という意識が希薄で、構造改革の重要性がいまひとつ理解されていない。ですから行政は構造改革はするが自分の既得権は守るといった中途半端な政策しか打ち出せないわけです。

時代の変わり目にあるということが、実感として世の中にあまり伝わっていません。そこに問題があると思うんです。明治維新では幕藩体制が解体するという大事件があって、新しい国を作ろうと若い下級武士や公家たちが立ち上がった。昭和20年には敗戦によってアメリカの占領という大事件を経験した。そして公職追放で20万人以上の人が公職から追放され、かわって30代、40代の若手が行政や経営などの第一線に立ったわけです。「俺たちがやらなければ日本の国はどうなってしまうのだろう」という強い危機感があった。ところが今の時代は人々を立ち上がらせるための起爆剤となるような事件がない。

消費者の知恵とバイタリティが新しい需要を生み出し、市場が育っていく。そこで市場の変化についていけない会社はつぶれてしまっても仕方がない。会社を潰したくなければ、消費者の動向に常に敏感にならなければいけないし、逆にそうした行為が会社を成長させ、さらには日本経済の活性化につながっていく。そこにはもはや、護送船団方式などといった役所の論理が不要であるということはいうまでもありません。

96年度に配送された郵便小包が4億個なのに対して、宅急便は7億300万個と郵便小包の約1.8倍ものご利用があった。正直なところ、なぜこんなにたくさんのお客様にご利用いただけたのか自分でも不思議でしょうがなかった。しかしよく調べてみると、わが社が提供するサービスを利用してお客様がありとあらゆる使い方をされているんです。

旅行先の朝市で新鮮な魚を買ってすぐに市場からクール宅急便で自宅に送れば家に着いた時には新鮮なままの魚が食べられる。お客様の知恵とバイタリティがわが社のビジネスの幅をさらに広げてくれているわけです。これからもお客様の知恵とバイタリティに応えられるような新しいサービスを提供し続けなければ、競争の激しい市場の中では生き残っていけません。

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