日本は、世界的に見て、平均して優れた人材がそろっています。これを有効に活用することが経営の合理性の追求を意味するんです。私が「人はコストではなく、財産だ」といっているのは、人情論ではなく、経営の合理性として、これだけ優れた経営資源を持っていながら活用しないのは、経営者の怠慢だと思うからです。
頻繁に人が入れ替わっていたのでは、いいモノづくりはできません。モノづくりをするうえでは、仕事に愛着を持っている、モノづくりの好きな人材の蓄積が重要です。だからこそ、人を財産と考え、長期雇用を維持することが経営の合理性だと思うのです。
いまの若い人は完璧な上司を求めてしまうんです。完璧な上司なんているわけがないじゃないですか。この人からはこの部分を、あの人からはあの部分を学ぼうという気持ちでいれば人はみんな必ずいいものを持っているんです。
高麗橋の吉兆から教えられたことがあります。私が下足番の方と一緒に、数人のお客様を出迎えていると、その下足番の方がお客様が乗ってこられた車の運転手に駐車場の駐車スペースを一台一台指示しているんですが、これにはちゃんとした理由がありました。実は会食が終わってお客様が出てくる順番に車を入れるように指示していたんです。「なぜ帰る順番がわかるのか」と尋ねると、「人間というのは変わらない」と言うのです。つまり約束の時間より前に来る人、時間調度に来る人、遅れてくる人の順番と言うのは、会合が終わってぱっと出てくる人、トイレに行ってから出てくる人、まだしゃべっている人というように帰るときも同じだという。それが人間の性格なんです。
嫌な上司だと思ってしまうと、そこからは反発心以外の何も生まれません。しかし人は相手の思いを感じるものなのです。私が彼を目標にして学ぼうという気持ちをもったら、不思議と嫌だと思っていた上司の態度が変わりました。そういう心が大切なんです。上司もこいつを育ててやろうという気持ちになります。バカヤロウなどと口では言うかもしれませんけど。
上司は自分の目標だと思います。いま目標になるような上司が少なくなっているという声が聞かれますが、嫌な上司であれば「ああいう人にはならないようにしよう」という目標にすればいい。どんな上司であれ、自分より一歩も二歩も先を歩いているわけですから、その人から何かを学ぼうという気持ちを持つことが大事なんです。
人間を評価することはそんなに簡単なものではありません。私は「アソシエイト経営」と言っていますが、社員一人一人がアソシエイトとして「自立」と「自律」をもって、マネジメントの主役になってください。そして、社員同士が議論しあうことで、新しい価値を生み出していきましょうということです。【覚書き:アソシエイト=仲間。外資系企業では役職なしの基幹業務に従事する従業員のこと】
おもてなしの感性を持ったプロが上司にいました。大阪の話ですが、ある日、高麗橋の吉兆に会合の下見に行くように言われました。心の中では「前の日にも接待で行っていたので、わざわざ下見に行かなくてもわかっている」と思いながらしぶしぶ出かけて帰って報告すると、「クーラーの風はどの方向に流れていた?」と聞かれたんです。ギョッとしましたね。「最初に言ってくれればいいのに」と思いましたが、いま振り返ればそれが教育なんですね。はじめからクーラーの風の向きを見てくるようにと指示してしまうと、それしか目に入らなくなってしまうわけです。ただ行って見て来いとしか言われなければ、自分で問題意識を持ちます。それが大切なんです。
私は向上心や好奇心のない人は駄目だと思うのです。それから大事なのは、素直さです。多少能力や知識があっても、学んだものをすぐに吸収して自分に活かすことができない人は伸びません。
富士銀行は自由闊達が教育方針でしたから、「君はどういう問題意識を持っているのか」ということをよく上司から聞かれました。日中、仕事の場ではどんなに上役の上司でも新人の部下でも、誰もがみんな対等に議論をしました。しかし、いったん仕事を離れて飲みの世界に入ると、年功序列なんです。役席で一番下のものはラーメン一杯とお銚子一本だけ。一番上は飲み放題、食べ放題です。
いまの若い人たちの鍛え方は、やわになっていますね。そもそも私の若いころは「仕事は先輩の技を盗んで覚えろ」という教育でしたから、新人研修などやってもらえませんでした。私は本来、研修のような受け身の姿勢では人は育たないと思うのです。職人さんは先輩から盗んで自ら学ぶから技が生まれる。人から教えられたのでは駄目なんです。いまの経営トップの人たちは実践で学び、自ら向上しようと研鑽を積んできた人ばかりです。
必要不可欠な条件は、社員たちが何を考えるかを感じ取る感性と、彼らの発言を聞いたらできることは必ずやるということです。現場には「経営者が来てくれたのだから、何かが変わるだろいう」という期待感があります。ところが、経営者が現場に来て話をしたものの、実際には何も変わらなければ、社員は意見を言っても無駄だと思います。社長に言って変わらないものを、他の誰が変えられるのかとバカバカしく思うでしょう。
社員から話を聞いたなら「違うことは違う」「できないことはできない」とハッキリ伝える必要があるし、「君の話はいいな」と言ったのであれば、必ず実現しなければいけない。それができないのなら、経営者が現場に行っても意味がありません。
よく現場主義と言いますが、ただ単に現場に行っただけでは散歩をしているのと同じです。だから、経営者は日ごろから自分で本を読んだり、人の話を聞いたりして、問題意識を高めなければいけない。経営は真剣勝負です。会社は経営者一人ですべて変わりますから、トップに適材の人が来れば組織は変わります。
どの業界でも、国内ナンバーワン企業は上がありませんから世界を見るしかないんです。そのため、意外にもナンバーワンの企業こそ危機感がありますし、社員もそれを感じて勤勉に働くわけです。
私は54歳の時に、富士銀行取締役からテルモに常務として転身しました。そのときのテルモの第一印象は、名前と業種しか知りませんでしたが、最初に感じたのはあまりにも企業文化が違うことと、財政的にギリギリのところまで来ているにもかかわらず、危機感がまったくなかったことです。
どの業界でも、国内ナンバーワンの企業は危機感を持っています。それは、世界を視野に入れているからです。しかし、ナンバーツー以下の企業は自分より一つ上の企業しか見ていない。一つ上の企業に追いつこう、追い越そうということにどうしても意識が向いてしまう。その先のより広範囲を見渡せば、本当はもっとたくさんの敵が存在するのにもかかわらず、目の前しか見えない。あまり危機感がないのです。
会社が危機に直面していたとしても、社内に危機感があれば危機に立ち向かって乗り越えることができるのですが、そもそも危機感がまったくないということ自体が一番の危機なんです。意外にも社内の人間には危機感がないものなのです。内向きの思考では、なにもかわらない。鎖国状態で組織の内部だけ見ていては、危機感は生まれません。
人を財産と考え、長期雇用を維持することが経営の合理性だと思うのです。ただし、年功序列は違うと思います。かつては、評価システムも発達していませんでしたし、農耕民族的なマネジメントで会社は成り立っていました。つまり、経験を積んだ年長者のほうが、お天気の読みは上手なんです。しかし、現在のグローバルな経営環境の下では、狩猟民族的な経営が求められるようになりました。狙う獲物はなにかにのって、リーダーを選ぶ時代になったのです。年功ではなく、適材適所でないと生き残れない時代です。
私にも嫌な上司はいました。でも現在の私があるのは、その人から何かを学ぼうと思ったからです。せっかくこの仕事に就いたのだから、いずれ辞めるとしてもこの人から何かを学んで辞めようと思ったんです。そういう視点でその上司を見ると、彼にはビジネスマンとしての洞察力があることに気が付きました。ここを学ぼうと思った瞬間に、ものすごく気が楽になりました。
私は社員に「人は財産だ」と訴えました。人の価値はバランスシートには直結しませんが、人の努力の結果は必ずバランスシート上の数字に表れます。社員の半分をクビにすればたしかに人件費は半分になるかもしれない。しかし、社員のモチベーションが上がれば2倍3倍の価値を生むんです。いってみれば人は固定費ではなく含み資産なんです。
4200人の社員全員と直接対話をしました。社員が社長室の外に出ないで間接話法で話をしたのでは伝言ゲームのように、間違った内容が社員に伝わってしまいます。それに、私が直接現場に出向いた方が、改革に対する本気度が社員に伝わります。社員に私の話を「間違いなく、この社長が言っていることだ」と信じてもらうことが大切なんですね。