昭和初頭の財界不況に遭遇し、私はしばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。ときには社員の給与にも困難し、十万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて回り、皆断られて小雨の降る日比谷公園をションボリ歩いたこともあった。松の枝がみな首吊り用に見えて仕方がなかった。しかし、いまにして思えば、すべて信念と忍耐力の問題であった。
6か月間の獄中生活の苦悩は、おそらく経験者でなければその心境を推察することは不可能であろう。私はこのときが人間として最低生活であった。だが、こういうときにこそ人間の日ごろの訓練とか修養とかがハッキリ出てくるものである。胆力もあり、肚も座った人間でなかったら、あるいは悶死するようになるかもしれない。その点で私は宗教的信念を持っていた。抜くべからざる自信である。それがものをいってくると、私はむしろ健康もよくなり、太ったくらいである。 【覚書き|東京市長選挙で選挙資金を贈った容疑で拘留されたときを振り返っての発言。6か月後無罪となり釈放された】