私は翁にくっついて、よく一緒に旅行した。車中で食事の時間が来ると駅弁を買って食べるのだが、弁当箱を開けると、外へこぼれない程度に静かにお茶をかけて、一粒の飯もおろそかにしないで食べ、残ったおかずも、きちんと包んで家に持って帰られた。 【覚書き:天竜川周辺の治山治水事業、北海道の開拓・植林事業に全財産を投じ、近代日本の発展に大きく寄与した金原明善氏の付き人をしていた時を振り返っての言葉。翁とは金原氏のこと】
地方産業の発達に尽くそうという私の熱意はいまも変わらない。これなくしては大企業の進展もないし、日本経済の確立もないというのが私の信念である。私はそうした信念のおもむくまま、果敢に行動してきたつもりである。金融政策も経済政策も、大企業中心主義になっているいまのやり方には私は不満である。