道徳家が誰かをつかまえて、「君はかくかくであるべきだ」と言ったとしても、それは物笑いの種になるだけだ。個人は前から見ても、後ろから見ても、一個の運命であり、ひとつの必然である。その必然は万物と結びついており、個人に対して「変われ」と言うことは、万物に対して変われと要求すること、過去にさかのぼってすら変われと要求することに等しい。
偉大さとは、方向を与えることだ。どんな河も自分自身によって大きく豊かなのではなく、多くの支流を受け入れて進むことによってそうなるのである。あらゆる偉大なる精神についても同じことがいえる。肝心なのは、のちに多くの支流が辿ることになる方向を示すことである。