精神的活動なき余暇は一種の死であり、生きながら埋葬されるのと同じことだ。
運命は、志のある者を導き、志のなき者を引きずっていく。
我々は短い時間を持っているのではなく、実は多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、もっとも偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰に浪費してしまったり、どんな善いことのためにも使われないならば結局最後になって否応なしに気づかされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生がもはやすでに過ぎ去っていることである。
私たちは常に命の短さを嘆きながら、あたかも命がいつまでも続くかのように振舞う。
他人にあなたの秘密を守らせようとするなら、まずあなた自身があなたの秘密を守れ。
他人に恩恵を施す者は、隠れて行いなさい。 他人に恩恵を受けた者は、それを皆に知らせなさい。
誰も永遠に仮面を被り続けることはできない。偽装はやがて自分の天性へと帰る。
重要なことは何を耐え忍んだかということではなく、いかに耐え忍んだかということだ。