過去の名言から知り、今の生活に生かす

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スティーブン・コヴィーの名言・格言

成長という自然のプロセスにおいて近道をしようとすればどうするだろうか。たとえば、テニスの初心者であるにも関わらず、人に格好良く見せるために上級者のように振舞ったらどうなるだろうか。答えは明白である。こうした成長のプロセスを無視したり、近道したりすることは絶対に不可能なのだ。近道を探すことは結局、落胆とフラストレーションをもたらすだけである。

私たちの人格は、繰り返される習慣の結果として育成されるものである。習慣によって無意識のうちに生活のパターンが決められ、人格が育成され、そして生活そのものが効果的あるいは非効果的なものになってしまう。

48時間以内に自分の勉強した内容を他の人と分かち合う。あるいは他の人と話し合うことを前提に読むのである。そうすれば、内容をさらによく覚えることができ、視野も広がり、理解が増し、原則を応用する決意が間違いなく高まるだろう。

多くの人が「運動する時間などない」と考えがちだが、これは何ともゆがんだ考え方だ。効果的な運動に要求される時間とは、一週間のうち3時間から6時間。一日おきに30分費やせばいいのである。それが残りの162時間から165時間の生活にどれだけ大きな好影響を及ぼすかを考えれば、こんなに効率の良い投資はほかにない。

相手の罪を責めたり、対立したり、ライバルと戦ったり、政治的なゲームをやったり、自分の立場を守ったり、相手がどう出るかで悩んだりすることに、どれだけの時間を費やしているだろうか。それはまるで、ブレーキを踏んだままアクセルも踏んで前進しようとしているようなものである。

あなたはどんな状況下でも、自分がどう影響されるかを自分で選択することができる。あなたに起きた出来事あるいは受けた刺激と、それに対するあなたの反応との間には、あなたの自由、すなわち反応を選択する能力が存在しているのだ。

主体的な人であるならば、状況や他人の行動が自分の視野を広げてくれるような経験を作り出してくれるまで待つ必要はない。自ら意識的にそういう経験を作り出すことができる。

アルコール依存症連合会という断酒団体があるが、その座右の銘はとても参考になる。「主よ、変えられることを変える強さを、そして変えられないことを受け入れる穏やかさを、さらにそれを見分ける知恵を与えたまえ」

人間関係について私がいままで学んだ最も大切な教訓を要約すれば、「まず相手を理解するように努め、その後で自分を理解してもらうようにしなさい」ということである。この原則が、人間関係における効果的なコミュニケーションの鍵なのである。

あなたが誠意を示し、自分の本当の姿、とくに自分の個人的な経験や自身のなさを表面に出せば出すほど、それを聞いている相手はあなたの話を自分の経験に重ね合わせ、そこから自分自身を表現できる安心感が生まれるのである。

信頼されることは人間にとって究極の動機づけである。それは人の最善の姿を引き出してくれるものである。しかし、それは時間と忍耐が必要だ。そして、その信頼に応えられるレベルまで能力を引き上げるための訓練が必要になることもある。

相手との相違点を尊ぶことだ。誰かがあなたの意見を否定したとしても、次のように言ってみたらどうだろう。「よかった。あなたは私と違う意見を持っている」異なる意見に対して賛成する必要はないが、彼らを肯定することはできる。そして、理解するよう努めることができるのだ。

人間関係を作る過程において、いかなる交渉術、いかなる管理テクニック、大衆のために貢献するいかなる努力によっても、人格の欠如を補うことはできない。人格とはそれほど大切なものであり、会社においても家庭においても、一人一人に対して愛と人生の根本的な法則を守ることこそが人間関係にとって必要不可欠なことなのである。

人間関係における問題のほとんどは、曖昧な期待、あるいはお互いの期待像の相違に端を発している。仕事で誰が何をするかという問題にせよ、誰が部屋を掃除し、誰が魚にえさを与え、誰がゴミを出すかという問題にせよ、不明瞭な期待像が誤解、失望、積み重ねた信頼の減少に結び付いていることは間違いない。

効果的な目標設定とは、活動や手段よりも、最後に到達する結果の方に重点を置くものだ。どうなりたいかを定義すると同時に、目標に対していまどの段階まで達しているのかも教えてくれるものである。どうしたらそうなれるのかということについて大切な情報を与えてくれる。

私たちが目標を達成するには二つしか方法はない。時間を投入して自分で実行するか、他の人に仕事を任せるかのどちらかである。自分で時間を投入する場合は能率を考え、人に任せる場合は効果を考えるべきである。

毎朝数分間、自分のスケジュールを見て、一週間の目標を振り返り、自分のいま直面している状況を再確認する。今日という一日を全体的にとらえ、優先すべき役割と目標を確認し、そして自分のミッションを念頭に置きながら、新たに出てくる問題や機会に対応していけるようにする。

完全なデレゲーション(仕事の委託・委任)は、手段ではなく結果に焦点を合わせている。手段を選択する自由を与え、結果を得るようにしなければならない。当初は、他の方法よりも時間がかかる。しかしこれは、のちに何倍もの利益を上げるための投資と考えるべきである。デレゲーションはやがて梃のように、あなたの力を大きなものへと変えてくれるはずだ。

リーダーとは、目的地に向かうジャングルの中で一番高い気にのぼり、全体を見渡し、下に向かって「このジャングルは違うぞ」と叫ぶ人である。しかし、仕事に追われて能力を重視する生産者やマネジャーたちがその声を耳にして示す反応とは「黙ってろ。順調に進んでいるんだから」というようなものである。

自然界において相乗効果はいたるところで見られる。2本の木材を重ねれば、一本一本で支えられる重量の和より、はるかに大きな重量を支えることができる。つまり、合計が各部分の和を上回っているということであり、1+1が3、あるいはそれ以上の結果になっているということだ。

リーダーシップを発揮するためには、主に右脳を活用することになる。それは技術というより芸術であり、科学というより哲学である。自らに対してリーダーシップを発揮するためには、自分自身の人生にとって最も大切な究極の問いかけをしなければならない。

ビジネスの世界では、市場の激しい変化に伴い、数年前のヒット商品がいまではまったく売れないというのが常である。敏感に環境の変化をとらえ、正しい方向に資源を注ぐためには、強力かつ主体的なリーダーシップを発揮しなければならない。

人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。変化に対応する能力を高めるには、自分は誰なのか、何を大切にしているのかを明確に意識することである。

自分自身にとって何が本当に大切なのかがわかっていて、そのイメージを常に頭の中に植え付け、毎日そのもっとも大切な事柄を優先する形で自己管理をすれば、人生は何と大きく変わってくることだろう。

まったくコントロールできない問題については、自分の態度を変える必要がある。変えられない状況に対して、気に入らなくても笑顔を作り、穏やかな気持ちでそれを受け入れるのである。

困難な状況に遭遇した時、パラダイム転換が起こることが多い。困難に直面した人は、従来とまったく違った見地から世界、自分自身、周りの人、自分に要求されている事柄を見るようになる。そうした状況においても主体的な人の態度は、自分自身の価値観を映し出すものであり、まわりの人々の精神を高揚させ、彼らに勇気と希望を与える。

多くの人は誰かが助けてくれることや、何かが起こることを待っているだけだ。しかし、最終的に良い仕事に就けるのは、主体的に問題解決に貢献している人だけなのである。こうした人たちは、正しい原則の範囲内で「望む結果を達成するのに必要なことは何でもする」という率先力を持っている。

自分の考え、経験、思いつき、学んだことなどを記録として日記につけることは知力の明瞭性、正確さなどを向上させるだろう。手紙を書くことも、自分の考えを明確に伝え、論理を展開し、相手により深く理解してもらう表現力を高めるのに役に立つことだろう。

問題の見方こそが問題なのである。「問題を一刻も早く解決してくれるような手っ取り早い解決方法はないだろうか」自らの問題に直面したとき、あなたはいつもこう思ってはいないだろうか。こうした即効性ばかりを求める問題の見方こそが問題なのである。

場当たり的な詰め込み主義で作業することの愚かさを考えたことがあるだろうか。春に種まきをせず、夏は遊びほうけて、秋になってから収穫を得ようと必死になって頑張る。そのようなことは到底不可能なことなのだ。蒔いたものしか刈り取ることはできない。そこに近道はないのである。

常に何かに対してNOと言える気構えを心にとどめておくべきである。一見重要に見える緊急事項に対してNOと言わなければ、もっと重要度の高い活動に着手することは、時間的にも不可能だろう。たとえその緊張なものが良いことであっても、それにYESと言ってしまえば、より重要度の高いあなたにしかできない貢献、あなたにとっての最良のことが実行できなくなるのだ。

人生で唯一最大の結果を生み出す投資は、自分自身に投資することだ。つまるところ、人生に立ち向かうため、そして貢献するために仕える道具は、自分自身しかないのであり、自らの業績はすべて、その道具を活用してつくり出すものである。

間違いを犯すことは一つの問題であるが、それを認めないのはもっと大きな問題である。人は間違いを許してくれる。なぜなら、間違いは往々にして判断を誤ったために発生するものだからである。しかし、人は心のあり方の間違いに対しては容易に許そうとはしない。不正な動機や最初の間違いを正当化しようとし、それを隠そうとする傲慢さはまったく違う次元の間違いなのである。

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