過去の名言から知り、今の生活に生かす

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アントニオ猪木の名言・格言

混乱の時代、不安と恐怖の中で生きるか、何が起ころうとも何かに挑戦し続けるか。

どん底に耐えられれば、裸になることができる。私は新日本プロレスを旗揚げした時、一軒、一軒、キップを売って歩いた。理想のプロレスをつくり上げるために、なりふり構わず頭を下げた。十年近くたっても、私はそれをやった。浅草の街頭に立って売り歩き、それでもキップが残ったので一軒、一軒まわった。なぜなら、ほかならぬ自分へのチャレンジだったからだ。

夢を持て、でかければでかいほどいい。とにかく夢を持て。私は、事あるごとに何度もそう述べている。大風呂敷を広げておさまりがつかなくなってみろ、やらざるを得なくなるではないか。夢を持てば燃えられる。燃えられればどん底にも耐えられる。変にひねくれることもない。

よく、これがもう俺の限界だと弱音を吐くやつがいる。限界だ、限界だと口癖ではなかろうかと思うくらい、限界の二文字を口に出す。私に言わせれば限界なんて言葉はこの世の中にはない。限界と言うから、限界ができるのだ。

なぜ自分から限界という一線を引かなければならないのか。もともとありもしない限界にこだわると、己の力に疑問を持つようになり、しくじったり、できなかったとき、ああこれが俺の限界だ、もう駄目だとギブアップしてしまう。

私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました。それを称してある人が燃える闘魂と名付けてくれました。闘魂とは己に打ち克つ、そして戦いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。

俺たちは、生まれながらに偉いのではない。全力でぶつかり、失敗し、それでも立ち上がって、また失敗し、やっと何かをつかんだかと思ったら、虚しくも朝の露。しかし、まだまだくたばらない。俺には欲があるんだ、夢があるんだと向かっていく。そうして、ちっぽけながらも、自分だけができる何かをつかんできた。

最初から「我、我を欲せず」などという悟りを開く男はいない。私は、若くしてそのように言い、行動する若者に不信感を覚える。なぜ、己の体で知る前にそのように思い込むのだと。

私はプロレス修業時代、誰よりも大きな欲を持とうと思い練習した。だからつらいことにも耐えられた。苦が苦ではなかった。そして、プロレスラーを決して派手な仕事だとは思わなかった。外見は派手でも、地味な、文字通り汗と血だらけの練習に明け暮れたからで、少しも楽に生きようなどと考えてはいなかったからである。

人は歩みをとめたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか。あやぶむなかれ。歩まずば道は無し。踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わずいけよ、いけばわかるさ。

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